2007年 11月 09日
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by immigrant-photo
| 2007-11-09 22:28
| 写真
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2007年 11月 08日
![]() 表題作を含む六篇からなる短編集。 表題作「水」を始めて読んだのは、実は、模擬試験の問題文としてであった。 家族と水辺の宿に泊まっている主人公の男が、夜中にのどの渇きを覚えて目を覚ます。 目は覚めたが、体はなかなか起き上がろうとしない。 布団で腹ばいになったままの男の脳裏に、次々と “水” にまつわる思い出が 浮かんでは消える・・・ 問題文として掲載されていたのもその思い出のひとつ、 その日の日中に湖上の遊覧船で起きたできごとの回想シーンであった。 そこで、男の2歳になる息子があわや水面に転落、という事件があったのだ。 (実際には通りがかりの若い男が気づいて抱きとめ、事なきを得たのだが。) この場面に限らず、男の回想はどれも、色濃く “死” の気配を漂わせる・・・ 今回、別の本を探していてたまたまこの本を見つけ出し、 20年ぶりぐらいで読み返してみた。 いま改めて読んでみれば、 透明ではあるがいつのまにかジクジクとこころの襞に沁みこんでくるような陰鬱さと、 体温に似た妙な生温かさとをあわせもつ古井の文体自体が “水” そのものだ。 というと、水の一般的イメージとはあまりにかけ離れていて 奇妙な感じを持たれるかもしれないが、 こういう “水” も確かにある、と思う。 ただ、その感じが一体どこからくるのかが、自分でもなかなかわからなかったのだが、 パラパラとめくっていた文庫本の最後、小川国男による解説の中にそのヒントを見つけた。 〈肉体の記憶の中から、物の意味を探し出そうとする〉 文学者が古井である、という。 水の場合で言えば、私たちの先祖にとっては、 これほど必要でありながら、これほど思うに任せなかった存在もなかっただろう。 日照りが続けばたった一滴の水に焦がれ、 雨が続けばたちまち暴れる川に呑まれる・・・ 彼らにとって水は、決して心なぐさみ癒されるだけのものではなかったはずだ。 蛇口からいくらでもきれいな水が出るのが当たり前になった今日、 昔の人たちが持っていた水に対する一種信仰めいた畏れや タブー視せずにはいられないほどの複雑な想いを実感することは少ない。 しかし、その想いは依然として私たちの肉体に記憶されているのではないか ・・・というのである。 そして、古井の小説の主人公たちは、そこから 〈物〉 を捉え直そうとする。 目の前に存在する 〈物〉 の意味を、自分が生まれる前から肉体に記憶された手触りを頼りに 改めて問い直そうとするのである。 さて・・・ ここからは、多少我田引水気味になるのを恐れずに本を離れて勝手な想いを述べるが、 もしかしたら・・・と私は思ったのだ。 自分が今、カメラを通してひたすら水と格闘していることも ひょっとすると、同じような問い直しの作業なのかもしれない、と。 瞬間が凍りついたように完璧にクリアな水滴 心を洗われるような清らかな流れ どこまでも美しく広がりゆく波紋 湖面をわたる漣 岩にぶつかって荒々しく砕け散る白い波頭 ・・・などなど もっと、写真としてすばらしい作品になりそうな美しい “水” を追求することもできたはずだ。 けれど少なくともこれまでのところ、どうやらそういう方向には行っていない。 どちらかというと、段々ドロドロして不透明感が増し 硬質な清らかさとはむしろ正反対の方向に向かっているような気さえする。 それがどういうことなのかを、あまり意識せずにここまできた。 が、今回この本を読んだことで少し手がかりをつかめたような気がする。 そういう意味で、私にとっては大変有意義な読書体験だったと思う。 ただ、この本全体としての感想を求められるとちょっと微妙である。 特に女の描き方には、正直かなり抵抗を感じた。 古井自身が60年安保世代というのもあってか、 登場する女は概して頭がよく、ちょっと生意気な口のきき方をしたりする。 気も強いので、酒の席で男をこてんぱんに言い負かしたりすることもある。 そういう女の “女” な部分の描き方が、 女の私から見るといかにも “男の目から見た女” 的で その度にやれやれ・・・という気持ちになったので、結構疲れた。 そのあたり、どうしても20年という歳月を感じてしまうのだが、 文章は独特の透明感があって美しく、精緻にして官能的である。 文章そのもので酔わせることのできる作家は、 今日ほとんど皆無であると言ってよい状況なので この本を手に、多少のレトロ感とともに秋の夜長を過ごすのもよいかもしれない。 #
by immigrant-photo
| 2007-11-08 18:36
| 本
2007年 11月 07日
![]() 今月 fotologue にアップした上の写真が、現時点で10名の方の「お気に入り」に登録され 私のエントリー作品の中で一番人気の座を獲得した。 fotologue では、自分のページやギャラリー以外では かなり小さいアイコンで一覧が掲載されるので、 こういうシンプルな構図のモノクロは却って目を引きやすいのかもしれない。 "vain" という、ちょっとキツめのタイトルも効果的だったのかもしれない。 英語のタイトルなので、外国の人にもわかりやすかっただろうし。 棘と虫食い穴の両方がくっきり出るようにレタッチできたという点で 仕上がりとしては、私自身も気に入っている。 ・・・・・・が 何だか私らしい写真ではない、感じもする。 私らしい写真、ってどういうのだろうか? #
by immigrant-photo
| 2007-11-07 19:19
| wanderings
2007年 11月 05日
![]() 散々悩んで、何とか10枚の写真を選んだ。 選んでからも、実際にアップするまで何度も何度も見直しては なぜこの10枚で、 どうしてこの順番に並べたのか、 を考えていた。 私が自分で選んだのだ。 自分の中に、然るべき判断理由があってよさそうなものだ。 なのに、わからなかった。 段々落ち込んだきた・・・ このままでは、収拾がつかなくなってしまいそうだ。 エ~イ、ままよっ! 無理やり勢いづけて、とりあえずアップしてしまった。 fotologue では、プロ・アマを問わずたくさんの方々の写真を 自由に閲覧することができるが、 実際に自分の写真をその中に並べてみると 改めて他の人たちのうまさを実感させられて、ちょっと恥ずかしくなった。 恥ずかしいが、それを思い知るのも勉強のうち、とここは割り切ることにした。 割り切れないのは、なぜこの10枚なのか、である。 写真をアップしたあとも、 毎日のように自分のページを見ては、このことを考えていた。 それが自分でわからないと、本当の意味での公開はできないような気がした。 相変わらず写真を前に考えているうちに、 ことばが浮かんできた。 一旦浮かび始めるとことば遊びのように次々と湧いて出た。 写真10枚分を順に並べると、こうなる。 ひとすじの流れ 茫漠たる想いより つたいくるもの 漲る力 さやけく 慈雨のごとく やわらかに 無限の宙の うごめき 暫し たゆたう 夜のしじまに 生まれ出で 彼方なる世界へ 今 はじまりの時 まるで詩、みたいである。 詩なんて、小学校の宿題以来書いたことがないので 自分の中からでてきたこれらのことばに戸惑った。 一連のことばとしての流れが妙に整っているだけに、却って気恥ずかしい。 けれども、自分が悩んでいたことに対する一つの答えではあった。 私はなぜこの10枚を選び、この順番で並べたのか。 とてもすっきりと美しい形で答えが出てしまった気がした。 そう・・・とてもすっきり。 これ以上、どうしようもないほどに。 それぞれの写真の説明欄にこれらのことばを添え、 「水 私の卒業制作は完成した。 一つの形にまとめあげた達成感はあったし、けじめにもなったが “水” にケリをつける、という私の密かな野望はあえなく潰えた。 ケリをつけるどころか、まだ私はちゃんと “水” を撮れてさえいない・・・ 「今 はじまりの時」 まさに、その通りだった。 #
by immigrant-photo
| 2007-11-05 18:20
| thinking
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