「写真とは光と時間の化石である」 by 森山大道
初めて “長時間露光” というのをやってみて、あらためてこの言葉を実感した。
明るいところでふつうに写真を撮ると、シャッタースピードは何百分の一とか何千分の一とか
人間の感覚では、一瞬とさえ認識できないほどの速さになるけれども
明るさが充分でない場合でも、その分シャッタースピードを遅くして長時間光に当ててやれば
フラッシュを使わずに写真を撮ることができる。
これが長時間露光という方法だ。
大雑把に言うと、撮影に必要な明るさの100分の一しかなければ、
100倍の時間露光させてやれば、光はちゃんと像を結ぶことができる、ということ。
絞りを絞り込んで、シャッタースピードは数秒、数分、時には数時間も・・・
開きっぱなしのシャッターから入ってくる微かな光が、
時間の経過と共に、カメラの中に少しずつ蓄積されて形になっていく。
或いはまた、その間に動いたものが軌跡を残す。
写真の中で、時間が流れる。
一瞬を切り取るのとは一味違ったスローな感覚が、かえって新鮮だった。
構図を決めてシャッターを押した後は、まるで他人事のように
三脚に据えたカメラの横で時間の経つのを待っているしかない。
カメラと一体化して、息をこらして一瞬を待つのはもちろん楽しいが、
カメラの後ろからファインダーを通して、ではなく
カメラと並んで私自身の目で、カメラとは別々にけれども同じ対象を
揃って眺める、というのもなかなか捨てがたい距離感だ。
これはまた、おもしろいものを知ってしまった・・・