2008年 12月 13日
あやさんのこと ― カエル ― |

さて、 「分校 #1」 の記事に登場したあやさん(文さん)をご紹介したい。
あやさんは、私がコラボ等でお世話になっている彫刻家 尾崎悟さんの元教え子である。
普段は別のところで働いておられるが、尾崎さんの仕事が猛烈に忙しくなると
救世主のように作業場に現れる。
だからこれまでにも、写真の撮影で伺ったときにお会いしたことはあった。
けれども、上述の通り、あやさんが出現するときは決まって修羅場状態なので
とてもゆっくりお話しするような時間はなく、私は黙々と作業を進める師弟の傍らで
なるべく邪魔をしないようにシャッターをきるばかりであった。
にもかかわらず、初めてお会いしたときからあやさんにはとても親しみを感じて
少し年の離れた妹みたいな感じを、勝手にもってしまった。
でも、それは何も私に限ったことではなく、あやさんと接する多くの方が
そんな風に感じておられるのではないか。
最近になって、分校撮影など尾崎さんの仕事場以外でお会いする機会が何度かあり、
あやさんが他の方々と話しておられる様子などを見るにつけ
そう、強く思った。
あやさんは、そういうお人柄なのである。
そのあやさんの作品を、初めて撮らせていただくことになった。
羽の生えたカエル・・・
あやさんはこれより前に、形は違うけれども同じく羽の生えたカエルを焼き物で作っていて
それが彼女の作品第一号だったのだけれど、
その作品は、この時点ではあやさん自身が撮られた写真で見せていただいただけだったので
この真鍮製カエルが、私が初めて実物を見たあやさんの作品だった。
実在しないはずのものなのに、とても生々しく、強いものを感じた。
本物のカエルに特別愛着があるわけではないのだが、
“カエルもの” は結構好きである。
そして、下のようなあやさんの言葉を聞いて、ますますカエルのことが好きになった。
かえるは、おたまじゃくしから足が生えて、えら呼吸から、肺呼吸に変わる。
姿を変えるから「かえる」だそうです。
そのネーミングは、「カワル」ではなく「カエル」というところも積極的で好きです。
そうかぁ・・・「カエル」という名前にはそんな由来が。
最後の1行が、特にいいですね。 「カワル」ではなく「カエル」・・・
などと考えを転がしているうちに、自分でも意外なことに
「カエル」と、昨日の記事で書いた「変わらない」こと。
一見正反対のこの二つの言葉が、私の頭の中ではとてもきれいにリンクしてしまった。
うまく説明するのは難しいけれど、
「カエル」は姿を変えることで新しい環境に適応し、自分の命を保つことができる。
つまり自分を変えることで、結果的には変わらず自分として生きていける。
というような・・・・・・なんて、やっぱりちょっとこじつけかな。
けれど、必要に応じて変えることのできる柔軟性、そういう余地を持っているということは、
いきものが生き延びていくうえでとても大切なことのように思う。
確固として在る、というのは憧れの境地で、芯の部分ではぜひそうありたいと思うけれど、
現実に生きていくというのは未完成な自分を日々変えていくことなのかもしれない。
変えることを、恐れてはいけない。
この作品に活き活きした力を感じるのは、「カエル」という形をとって
まさに変えることのもつパワーと可能性とが表現されているからではないだろうか。
あやさんのカエルはただ跳ぶだけでは満足しない。
もっと跳びたい・・・さらに高く跳びたい・・・・・・・・・飛びたい!
と願い続けて、その想いが羽という形になったのである。
“今” に満足せず、もっと、もっとと求め続けること。
やはり、「カエル」ことは、生きていくことだ。
とまぁ、そんなようなことを考えた。
P.S. 折も折、年の瀬恒例のこの1年を象徴する漢字というのが今日発表された。
2008年の漢字は 「変」 。
そういえば、オバマ次期米大統領も " Change ! " と唱えて勝利を得たのだった。
願わくば日本の 「変」 も、よりよい方向に向かって変える、変えてみせる、という
意気込みを表したものであってほしいものだ。
by immigrant-photo
| 2008-12-13 07:33
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