2008年 12月 12日
うつろえど、変わらぬもの。 |
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
鴨長明のこの名文を引き合いに出すまでもなく、水はうつろいゆくものの象徴だ。
そしてこの世の中に、うつろうことのないものなど一つとして存在しない。
水は現世そのものである。
一瞬たりとも同じ状態でいることはない、そのうつろいやすさに惹かれて
私も最初、カメラを向けたように思う。
落下するしずく
水面に広がりゆく波紋
流れ落ち、水面で撥ね、ぼこぼこと溢れ出し
変幻自在の水は、まさに無限の表情を見せてくれ、
私はその一瞬の表情をカメラで捉えるという作業に夢中になった。
生身の人間の目では見ることのできない風景を、カメラが捉えて見せてくれる。
初めて見る風景は新鮮で驚きに満ちていた。
そのこと自体は、変わらない。
けれども最近ちょっと撮りたいと思うポイントが変わってきた。
水の表情はもともと無限にあるわけだから、
刻々と変わる表情そのものを必死で追ってみたところで
それだけでは意味がない。
水はこんな顔も持っています、という証明写真のカタログが
どんどん充実していくというだけのことだ。
でもそうではなくて、
追うべきはむしろ、それでもなお変わらない部分の方なのではないか。
姿形は変わっても変わらない、“水である” ということ。
カメラが捉えるのは同じ一瞬の表情ではあっても
その一瞬の中に、水の永遠が感じられるような写真を意識して撮りたい。
・・・・・・って、
言ってしまえばごく当たり前のことで、
これまで、そんなこともわからずにやってたのか? という感じですが。
いや、実はもう随分前にこういうことを指摘していただいたことはあり
一応頭ではわかっていたつもりで
これまでもずっと意識していたつもり、ではあった。
けど、ちゃんとわかっていなかったのだと思う。
それが最近になってようやく、胆の真ん中にゆっくりと落ちてきた感じ。
いや「落ちる」だとはっきりし過ぎている・・・じんわり滲みてきた、ぐらいかも。
ちゃんとわかるまでに、人よりも余計に時間がかかる。
結局、実際に自分でここまでやってみないとわかることができない人間なのだ、私は。
もっとスマートな頭に生まれたかったなぁ、とつくづく思う。(あ、できれば体型も・・・)
それでもやっと、人並みのスタート地点に辿り着くことができたようだ。
ここからが、本番。
せめてここからは 「よーい、ドン!」 と勢いよく駆け出せればよいのだけれど
万事スローモーな私は、走るのも遅い。
傍目にはせいぜいカメ程度の遅々とした歩みになるだろう。
それでも一歩一歩、自分の足で確かめながら進んでいきたいと思う。
by immigrant-photo
| 2008-12-12 00:14
| will