2008年 09月 23日
松田道雄 『最新 育児の百科』 |
映画『西の魔女が死んだ』を見て、言葉の力のことを想っていたら
読む機会がなくなって久しい、この本のことを思い出した。
この本は、長男が生まれた時に友人が紹介してくれた。
いつもいろいろなことに細やかな心配りをする彼女らしく、「押しつけたくはないので」と
本を直接贈ることはせず、著者名とタイトルだけ教えてくれたのだった。
私は早速、近くの書店で注文した。
しばらくして本が届いたけれど、毎日毎日慣れない育児に追われていて
本を開く余裕がなかった。
漸く、その時間と気持ちのゆとりが持てるようになったのは、約半年後。
著者の松田道雄さんは、当時80歳を越えてなお現役の小児科医。
本に使われている写真の子供たちは、思いっきり昭和仕様で、
まるで自分自身の子ども時代のアルバムを見ているような感じがあった。
写真はもちろん白黒。本文は黒一色の縦書きである。
本屋の店頭に並んでいる色とりどりの明るくて楽しげな育児書と比べて
あまりにもストイックな佇まいに多少戸惑いながらパラパラとめくった107ページの一文に
私の目は釘付けになった。
元気のいい男の赤ちゃんは、乳を吐くものなのだ。
一瞬呆気にとられた後、私は思わず大笑いしてしまった。
笑いながら、泣いた。
こういう言葉を、私は聞きたかったのだ!ということが、ようやくはっきりと自分でわかって。
あまりにうれしくて、ホッとして・・・
息子はとてもよく吐く赤ちゃんだった。
授乳の後、時には噴水のようにミルクを噴いた。
げっぷをさせようが、しばらく体を起こしておこうが何としても吐く。
実は、それまで半年間の育児で、いつもいつも不安だった最大の原因がそれだった。
「赤ちゃんの病気」の本を見ても、考えられる難しげな病名を書き連ねたあと
要するに、心配なら医者に行けと書いてあるだけなので、ますます不安になる。
それで、医者に行く。
まだなりたてのような若い女医さんは、淡々と
「・・・という症状はないですし、・・・も見られませんので、○○という病気ではありません。
また、・・・ではなく、・・・も異常がありませんので、××でもありません。
△△なら、・・・があるはずですが、それもありませんので、大丈夫だと思います。」
と説明してくれたけれど、まるで「赤ちゃんの病気」の本を馬鹿丁寧に棒読みするのを
聞かされているような感じで、大丈夫と言われても全然安心できなかった。
赤ちゃんはいたって元気なのに段々それが見えなくなって
一時は吐くことばかりが私の頭を占めていた。
それが少しずつマシになって、ようやく気持ちに余裕ができたのが
この6ヶ月目あたりだったのだ。
その、半年間の心配の種を、上記の言葉は見事に一蹴してくれた。
この自信に満ちた断言!
そうだ、ただ、そういう言葉を聞きたかっただけなのだ。
もっと早くこの言葉に出会っていれば悩まずに済んだものを、と悔やまれたが
散々悩んだ後だったからこそ、この言葉の力強さがストレートに響いた面もあるので
それはそれでよかったのかもしれない。
この後も、子どもが幼稚園に入る前ぐらいまでは、時間があるとこの本を開いた。
この本は、単純なノウハウを教える本ではない。
何十年にも渡って、膨大な数の子どもを愛情深く見守ってきた著者の
経験に裏打ちされた力強い言葉が、ともすれば小さなことにとらわれがちな
イマドキの母親たちを励まし、支えてくれる。
男性的で一見そっけない文章には、山のように揺るぎない強さ、
と同時にやわらかな人の温もりが感じられる。
むすっとしてみせて実はユーモラスな感じが、かの内田百閒を思わせ、
読み物としても充分すぎるほどにおもしろい。
こういう、とてつもなく大きく深い知性を感じさせてくれる人物は
これからの日本には、もうあまり現れないかもしれないな・・・
この本の初版が出た1967年以来、定期的に内容を見直しては改定してこられた
松田さんは、ご自分の年齢を考え、またそれまで多くの方々に親しまれてきた
ということに対する責任ということについても熟慮されて
その後、本書をあらためて全面的に見直した上で定本化された。
その際写真もすべて撮りなおして、よりいきいきと今の子供たちを伝えるものとなった。
その時にはもう、うちの子供たちは大きくなっていて、この本のお世話になることも
なくなっていたけれども、そういう情報を知ってしまうとどうしても欲しくて
定本の方も買ってしまった。
松田さんはそれから程なく亡くなってしまったけれど、
今もすべての子供たちを、そしてまたその悩める母親たちを
やさしく見守って下さっているのではないかと思う。
by immigrant-photo
| 2008-09-23 00:57
| 本