2008年 08月 04日
トールモー・ハウゲン 『夜の鳥』『少年ヨアキム』 |
子どもの頃、世の中はこわいものに満ちていた。
かくれんぼのことを思い出す。
低学年の頃よく遊びに行っていた男の子のうちの向かいに
半分打ち捨てられたような倉庫があった。
一応、閂的なものが掛かっていた気はするのだがどうやらそれが完全ではなく、
うまい具合に、丁度子どもが通り抜けたくなるぐらいの隙間が開くのだった。
窓は高いところに一つ(だったように思う)あるだけなので、中はかなり暗い。
今から思えば農業資材などを置く場所だったのだろうか。
隅のほうに肥料だか農薬だかが入っていそうな大きな紙袋が積んであったり、
そこらじゅうに藁くずのようなものが散らばっていたりしていた。
長い木が何本も壁に立て掛けてあって、その裏側がまた一際暗い。
絶好の隠れ場所ではあるが、そこに隠れるには
「鬼」以外のものに見つかる恐怖に耐えなくてはいけない。
闇の中でいくら目を凝らしてみても
パーにして目の前にかざしているはずの自分の手が見えなくて
何とも言えず不安になった覚えがある。
今や絶滅危惧種とも言える「いじめっ子」も、あの頃は猛威を振るっていた。
新品の靴を履いているのが見つかったりすると、もういけない。
帰り道に待ち伏せされ、犬のウンコ(ここはもうウンチなんてかわいいものではなく、
絶対この言葉でないといけない)を踏むまで通してもらえないのだ。
運の悪いことに、そういう時に限ってまたおあつらえ向きの立派なのが
落ちていたりするものだ。
結局踏んだのかどうかは忘れてしまったけれど、
その時の靴の模様はもちろん手触りまでリアルに覚えていることを思うと
余程ショックだったのだろう。
子どもの頃から人並み以上にぼんやりしていて、
決していわゆる “感受性の強い子” ではなかった私でさえこうである。
いろいろ感じすぎてしまう子どもにとっては、
世界は大人が能天気に子供たちに信じさせようとするほど明るく希望に満ちたものではなく、
むしろ隙あらば自分に襲いかかろうとしている恐ろしい生き物のように、
生々しい恐怖を感じさせる場なのではないだろうか。
ノルウェイの作家によって書かれたこの二つの物語の主人公
8歳の男の子であるヨアキムは
まさに典型的な “感受性の強い子” である。
彼にとってはアパートの階段のシミも魔界の入り口であり
住人はみんな魔女や神様で・・・それに時々殺人犯まで隠れていたりする!
こういうことを吹き込むのは年長で力もとびきり強い女の子サーラである。
サーラのせいで、ヨアキムはしょっちゅうおしっこをちびってしまいそうな
怖い思いをさせられているし、これまたしょっちゅうぶたれる。
しかし一方でサーラはやたらに面倒見がよくて
ヨアキムが他の子にいじめられたりしたら
相手をコテンパンにやっつけてくれたりもするのである。
サーラを始め、その弟ローゲルやクラスメイトのトーラとユーリ、
それにちょっと不思議な雰囲気の女の子マイブリッドなど
それぞれに個性的な面々に囲まれて
弱虫ヨアキムは毎日ドキドキ、ハラハラ、ビクビク、ワクワク、ウツウツ
しっぱなしで心の休まる時がない。
にもかかわらず、状況はさらに過酷なのだ。
ヨアキムのうちには、世話の焼けるパパがいる。
学校の先生になりたいと言って、代わりにママに働いてもらって勉強し、
晴れて先生になったというのに、初日から自信喪失で登校拒否になってしまった。
パパの仕事が軌道に乗ったら次は自分が勉強して
保母さんになる夢を実現したい!
と楽しみにしていたママは大いに当てが外れ
治療にさえ乗り気でないパパに、次第にイライラをつのらせていく。
両親の不和をひしひしと感じながらも、
子どもなりに何とかパパを立ち直らせようと健気にがんばるヨアキム・・・
ヨアキムはボス的な強さをもった子ではない。
力関係でいうなら、最下位に近い位置にいるだろう。
でも、弱いものは弱いなりに
子どもらしい柔軟さとしたたかさとで、困難な日々を生き抜いている。
ヨアキムの懸命の努力にも拘らず、家の中の事態は好転しないし
街に出れば近所の子供たちが、
相変わらずケンカしたりいじわるしたり悪さをしたり・・・している。
いいことなんかあまりない。
でも、そんな中で、というかそんな中だからこそ、
ヨアキムは自分で一生懸命考え、行動し、少しずつ成長していく。
とともに、周りの大人や子どもたちもやはり変わっていく。
その変化のささやかさや、成長の歩みの遅さと着実さとが
たまらなく愛しいこの連作。
ふと思い立って久しぶりに読み返したが
毎日がいっぱいいっぱいだった遥かな日々を思い出し
ちょっとすっぱいような懐かしさが胸に迫ってあたたかい名作だと思う。
by immigrant-photo
| 2008-08-04 00:42
| 本