2008年 04月 11日
消える(3) |
つまり、私がその写真を撮る時に考えたことや、それを表現するためにした工夫などは、一つの経験として私の中に蓄積されて、(仮に写真のデータそのものは消えてしまったとしても)なくなることがない。
今「経験」という言葉を使ったが、「経験」と「体験」とは似て非なるものだ、というような論説文を、昔、学校の教材か何かで読んだ。詳しい内容は忘れてしまったけれども、ひょっとしたら本題でさえなかったかもしれないそのことが妙に印象に残っていて、時々、その違いのことを考える。
何かをやってみたり、或いは災難にふりかかられたり、私達は日々たくさんの「体験」を重ねている。そこから何かを学び取り、自分自身のものとして獲得し直すことができた時、初めてその「体験」は「経験」となる。
「経験」は消えない。
一つ一つの「体験」を、どこまで自分に引き寄せて「経験」とすることができるか…意識的にその努力を続けることで“消えないもの”を増やしていけるのではないか。
パソコンの故障からは随分離れてしまったけれども、そんなことを考えた。
今「経験」という言葉を使ったが、「経験」と「体験」とは似て非なるものだ、というような論説文を、昔、学校の教材か何かで読んだ。詳しい内容は忘れてしまったけれども、ひょっとしたら本題でさえなかったかもしれないそのことが妙に印象に残っていて、時々、その違いのことを考える。
何かをやってみたり、或いは災難にふりかかられたり、私達は日々たくさんの「体験」を重ねている。そこから何かを学び取り、自分自身のものとして獲得し直すことができた時、初めてその「体験」は「経験」となる。
「経験」は消えない。
一つ一つの「体験」を、どこまで自分に引き寄せて「経験」とすることができるか…意識的にその努力を続けることで“消えないもの”を増やしていけるのではないか。
パソコンの故障からは随分離れてしまったけれども、そんなことを考えた。
by immigrant-photo
| 2008-04-11 05:28
| thinking