2021年 04月 06日
いま |
変な時間に寝落ちしてしまったものだから、
妙に頭が冴えて、眠れない。
この一週間で3回、「ファンタジア」を観た。
初回は娘と、次は友人を誘ったが、
昨日は一人で観に行って、
スピーカーに近い、前寄りの席をとった。
老眼でもあり画面が近いと疲れるので、
普段はこういう席は絶対とらない。
けど、この作品に関しては
画と音との圧を身体で感じてみたかった。
身に堪えるまで圧倒されたくなった。
抽象的なイメージが自由自在に飛び交う
バッハの「トッカータとフーガ」で始まる
プログラムは、妖精とともに四季を巡り、
ミッキー扮する魔法使いの弟子の失敗に
我が身を重ねて苦笑していると、いきなり
生命誕生以前から恐竜絶滅までの
壮大な地球史に放り出されるという
ダイナミックな展開で前半を終える。
ここでちょっと休憩。
クラシックの演奏会同様、
ホッとひと息つける趣向が嬉しい。
後半は、かの「田園交響曲」にのせて
ギリシャ神話の世界を舞台に
家族あり、友だちあり、恋愛あり、
お祭騒ぎあり、その宴たけなわに
ゼウスの気まぐれで引き起こされる
突然の嵐に逃げ惑い…と
盛り沢山な1日を満喫。
重量級動物バレリーナたちによる
コミカルな「時の踊り」を楽しんだ後
いよいよフィナーレを迎える。
魔王がほしいままに暴れまくる
不気味な「禿山の一夜」は、
清澄な教会の鐘の音とともに終わりを告げ、
曲は自然に、シューベルトの
「アヴェ・マリア」へとつながっていく。
美しすぎてもはや哀しくなるような
その調べにのって、灯火を手にした
巡礼者たちの行列が
静かに、淡々と進んでいく。
夜明け前の仄暗い森の中、チラチラと
見え隠れしながら連なる灯火は
とても頼りなく見えるのだが、
決して途切れることはない。
その灯を手にしている巡礼者たちは
ぼんやりした影として描かれるばかりだが、
連綿と続きゆくその影こそ、
この作品の中で唯一登場する
人間の姿である。
闇に抗するにはあまりにささやかな灯を頼りに
行列は黙々と、前に向かって歩み続ける。
天上から、やわらかな光が厳かに射して
次第に輝かしい旭光へと移り変わっていくところで
静かに映画は終わる。
「希望と生命の力は、絶望と死に打ち勝つ」
というメッセージが、
余韻をもって力強く心に響く終幕である。
「ファンタジア」がアメリカで公開されたのは、
1940年…今から80年も前のことである。
ウォルト・ディズニーを筆頭に、
指揮者レオポルド・ストコフスキーと
103人編成のオーケストラ
(フィラデルフィア管弦楽団)、
11人の監督、120人以上のアニメーター等々、
のべ1000人のスタッフの手によって、
3年の歳月をかけて漸く完成した。
世界初のステレオ録音映画として、
技術的にも新たな時代を切り開いたが、
コンピュータなどない時代のことだから
すべて人力による、とてつもなく
手間のかかった労作である。
世界中で争いが絶えず、混迷を深めていた時代、
今風に言えば「不要不急」極まりない
空想の世界を、よくぞここまで
完成度の高い作品に仕上げられたものだと、
ただただ驚いてしまうのだが、一方で、
そういう困難な時代にあって、何としても
次の時代へと希望をつなぐことこそが
芸術家の仕事なのかもしれないと
思ったりもする。
未明からそんなことをつらつら考えて、
ぼんやりとまた1日が終わってしまった。
ある意味贅沢な休日。
by immigrant-photo
| 2021-04-06 03:42
| 映画