2015年 11月 01日
昨日のお出かけ |
昨日は急に東京まで行くことにし、
しかも、またもや欲張ってハシゴをしたので
ブログにアップする余力がありませんでした。
秋は気合いの入った展示や面白そうな映画が満載で
観る側も体力勝負です。。。
というわけで、先ずは渋谷のシアターイメージフォーラムへ。
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」
しかも、またもや欲張ってハシゴをしたので
ブログにアップする余力がありませんでした。
秋は気合いの入った展示や面白そうな映画が満載で
観る側も体力勝負です。。。
というわけで、先ずは渋谷のシアターイメージフォーラムへ。
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」
2007年冬、シカゴのアマチュア歴史家ジョン・マルーフが、
執筆中の著書に使おうとしてオークションで競り落とした大量のネガ。
撮影者「ヴィヴィアン・マイヤー」の名をグーグルで検索してみても
見事に1件もヒットせず、写真家の正体は不明だった。
残念ながら著書に使えそうなものもなかったのでしばらくそのままにしてあったが、
あらためて写真をみるうちに彼女の写真そのものに魅力を感じて、
自身のブログで一部を紹介してみたところ大絶賛され、
マルーフは本格的に「ヴィヴィアン・マイヤー」探しを始める決意をする。
2009年、再び「ヴィヴィアン・マイヤー」で検索すると、
今度は1件ヒットしたが、それは数日前の死亡記事だった。
もうヴィヴィアン本人に会うことはできなくなってしまったが、
マルーフは丁寧に人脈をたどって、ヴィヴィアンゆかりの人々とコンタクトをとり
その人たちへのインタビューを通して、写真家ヴィヴィアン・マイヤーの
人物像を明らかにしていこうとする。
この映画は、その過程をマルーフ自身が記録したドキュメンタリー映画である。
83歳で亡くなったヴィヴィアンは、長い間乳母の仕事をしていた。
長身の体に、いささか時代遅れな独特のファッションをまとい、
ナチスの軍人みたいに大きく腕をふりながら大股で歩く。
首には常に愛機ローライフレックスをぶら下げていた。
そして、子どもたちを遊ばせるため(というのは、おそらくは口実で)
屋外に出かけては、いたるところで写真やビデオを撮った。
そのようにして日々撮りためた写真は、なんと15万枚。
しかもヴィヴィアンは生前、それらの写真を一度も人に見せることがなかった。
ジョン・マルーフによって偶然発見されなければ、
ヴィヴィアンの写真は誰にも見られることなく消えてしまう運命にあったのだ。
映画にはジョエル・マイロウィッツ、メアリー・エレン・マークという
二人の著名な写真家も登場し、インタビューにこたえて
ヴィヴィアンの非凡さについて専門家の立場からコメントしている。
シャッターチャンスをとらえる感覚も、構図もユニークにして絶妙で
彼女が生前に写真を発表していたら、20世紀の写真史を変えていたかもしれない・・
そんなすばらしい写真を撮りながら、ヴィヴィアンはなぜ
それを世に出そうとしなかったのだろうか。
「ストリート写真家は、雑踏を恐れない社交的な性格の持ち主だ。
だが、同時に孤独な者でもある。」
マイロウィッツのこの言葉そのままに、ヴィヴィアンもかなり複雑な性格
の持ち主だったようで、乳母として面倒をみていた子どもたちからも
大変慕われ懐かれた一方で、子どもじみたいじわるをしたり、
子どもを放ったらかしにしたまま、撮影に没頭していたりしたという。
また極端な秘密主義者で、住み込みでありながら
プライベートな部分は一切人に見せず、
私物の古新聞(床を埋め尽くすほどの)をほんの少しだが勝手に使われた
というので大騒ぎを引き起こして、雇い主が解雇せざるをえなかった
というような事件もあった。
充分に奇人・変人の域に達しており、実際トラブルも多かったようなのだが
彼女について語る関係者の表情は、誰もみな懐かしげであたたかだった。
困った人ではあっただろうが決して心底嫌われていたわけではなく、
苦笑混じりながらも、受け容れられていたのだと思う。
ただそのことは、あまり彼女自身の心には届いていなかったのじゃないか。
そういうことをあまり感じ取ることができない人だったのじゃないか。
彼女の写真を見て、そんな風に感じた。
彼女は、何にでもカメラを向ける。
無遠慮といっていいほどに。
その躊躇のなさ、迷いのなさに、尋常でないものを感じ
被写体そのものよりはそのことに、思わずどきっとさせられる。
ヴィヴィアンが乳母として面倒をみていた子どもが車にはねられたことがあった。
そのとき彼女は、駆け寄る代わりにファインダーをのぞき
道路に横たわったままぐったりしている子どもや、
狼狽して泣き叫びながら駆けつける母親、
心配そうに周りを取り囲む人々・・を丹念に記録し続けたのである。
このことを人道的な観点から云々するつもりはない。
ただ、全く動揺の感じられない的確なカメラワークのうちに
このように生まれついてしまった人の孤独がかえってよく見えるようで、痛いのだ。
と同時に、この容赦なく平静な視線こそが彼女の写真の魅力でもあると思う。
迷いがないから、被写体がダイレクトにこちらに迫ってくる気がする。
何があっても撮る。
撮らずにはいられない。
乳母という社会的にはかなり低い立場に身をおきながら、
その手には、ひょっとしたら雇い主さえ持てなかったような高級カメラ。
身なりも含めて極めてちぐはぐなヴィヴィアン・マイヤーが
いろいろありながらも一生懸命生きてきた、その証が15万枚の写真であると思えば
こうして多くの人の目に触れることになったのは
やはりいいことだったのではないか。
映画1本見終わってそんな風に思えたのだが、
さて天国のヴィヴィアン本人はどう思っているだろう・・・
長くなりすぎるので、続きは明日にします。
by immigrant-photo
| 2015-11-01 14:47
| 映画