2015年 01月 14日
『おやすみなさいを言いたくて』(公開中) |
ファインダーの向こう側/こちら側。
昨年の終わりにテレビで紹介されていたのを
たまたま目にしてこの映画のことを知った。
私が最も好きな女優の一人であるジュリエット・ビノシュ主演。
しかもカメラマン役とあっては、見に行かないわけにはいかない。
残念ながらうちの近くでは公開されないようなので
歳末押し迫った慌ただしさの中、山積する用事をものともせず
角川シネマ有楽町に向かったのだった。
118分後。
最上階の8階にある映画館を出てから、
ビックカメラ建物内を、階段を使ってゆっくり地下まで下りきっても
まだぼーっとして、歳末セールで賑わう店内の光景をリアルに感じられない。
この映画から問われた様々な問いがぐるぐると頭をめぐって。
ビノシュの好演は予想以上で「本職はカメラマンでしたっけ?」と思うほど。
視線や構え方がそれらしい、などというレベルではない。
動きやリズム、息づかいまで完全にカメラと一体化していて、
それがあくまで自然なのがすごい。
もはや演技を越えた演技だったと思う。
そのビノシュが演じたのは、レベッカという超一流の報道カメラマンである。
紛争地に赴いては、その悲惨な現状をカメラにおさめ
写真を通して、世界中に知らしめることに強い使命感を感じている。
故郷アイルランドで彼女の帰りを待つ家族も彼女の情熱を理解し、
彼女の支えとなってくれている・・・と思っていた。
しかし自爆テロにまきこまれて瀕死の重傷を負ったことを機に
久しぶりに我家に戻ってみて初めて、レベッカは家族との間に
いつの間にか深い溝ができていたことに気付かされる。
「待つ気持ちが分かるか?」
「娘たちはいつも母親の死に怯えながら暮らしてる」
これまでのように耳障りのいい理解ある言葉ではない、
剥き出しの生の感情を容赦なくぶつけられて
レベッカはすっぱりカメラマンを辞め、家族とともに過ごすことを選ぶ。
たくさんの血が流れ、次々に人が死んでいく戦いの場を離れ
穏やかに流れる時間の中で、家族との関係も徐々に修復されていく
かに思われたその矢先、高校生の長女に乞われ、
彼女の研修に付き合うかたちで訪れたケニアで決定的なできごとに見舞われる。
その事件が引き金となって、結局レベッカは家族の元を去ることになるのだが
別離の哀しさの一方で、高校生の娘は、以前とは少し違った見方で
自分の母親を見られるようにもなっている。
母親として、そんな娘の成長にあらためて希望を感じ、
少し背中を押される思いで、ひとり紛争地に戻っていくレベッカ。
悩みに悩んだ末に戻ってきたその場所で、しかしこの時
彼女はシャッターをきることができなかった。
眼前の凄絶な光景にも全くひるむことなくカメラをむけ、
極めて冷静に、躊躇なくシャッターを切り続けるレベッカの
射るように鋭く強いまなざしから始まったこの映画は、
同じカメラを胸に抱えたまま、なすすべもなく崩れ落ちる彼女の姿で終わった。
レベッカはどうしてシャッターをきれなかったのか。
それは、ファインダーの向こうの現実が、おそらく初めて
本当に彼女の心身にがっちりと食い込んでしまって、
報道者としての客観的立場に踏みとどまれなくなったからだ。
まさに今、目の前で実際に起こっているできごとに対して
報道カメラマンはどう向き合うべきなのか。
この問題については「ハゲワシと少女」の写真をめぐる論争が有名だが
最終的に“報道か人命か”とヒステリックに二者択一を迫るような方向に
まとめられてしまう乱暴さが気になるところだ。
元報道カメラマンという経歴をもつエーリク・ポッペ監督にとって
それは日々、その時々、自身につきつけてきた問題に他ならず
だからこそこのラストシーンで、安易に答えを示すことを避けたのだろう。
かくて問いを問われたまま映画は終わり、答えは私たち観衆に委ねられる。
・・・と、こんな風に紹介してしまうと何だか仕事を持つ母親と家族の問題、
もしくは報道カメラマンの倫理を問いかけるためだけの映画のように
思われてしまいそうで、自分の文章力のなさが歯がゆい。
が、決してそうではなくて。
主人公を女性に変えてあるが、元々は監督の自伝的要素が強いこの作品には
私たちが日々を生きていく上で直面する様々な問題が提示されている。
苦渋の選択の結果も大団円には至らないラストシーンに象徴されるように
映画の中で“正解”は示されず、ある意味宙ぶらりんのままである。
けれどむしろそこにこそ私は、監督の人間としての誠実さを感じた。
人と人とがすれ違い対立し合うことに解決の方法があるとすれば、
今なお繰り返される暴力の連鎖を止められるものがあるとすれば、
それは、明解でもっともらしいただ一つの“正解”なんかではなく、
打ちひしがれ倒れても、再び立ち上がって迷いながら進める一歩一歩
その積み重ねしかないのではないかと思うからだ。
レベッカがもう一度カメラを構える時、
そのファインダーの向こうにあるものこそ、私はぜひ見てみたい。
派手ではないが渾身の佳作。
母親でなくても、女性でなくても、カメラマンでなくても
できるだけたくさんの人に見てほしい。
by immigrant-photo
| 2015-01-14 09:18
| 映画