2014年 09月 28日
写真家 六田知弘展 「水の貌 MIZU NO BO」 偶然と必然の間に・地 / 水 / 火 / 風 / 空 |
いろんなサイトを見る度に目に入る広告は、殆どが目障りで
妙にこちらの嗜好を突いてくるだけに(閲覧の履歴が勝手に分析されている
のだろうと思うと)却って気分の悪いものだが
ごく稀に、大当たりがあるから一層くやしい。
この六田知弘展のことを知ったのも、ページの片隅にたまたま表示された
小さな広告がきっかけだった。
絶対行こう、と思っていたがなかなか機会をつくれず、
先日、ジュリエット・グレコの公演の前に漸く訪れることができた。
本当に、行ってよかった。
展示タイトルは「水の貌」だが、2階建てのギャラリーに
ゆったりと並べられた写真の被写体は、必ずしも水だけではない。
雪深い雑木林であったり、蓮の蕾であったり、1本の樹であったり。
けれどそのどれにも“水”を感じたし、
一方で吉野の滝を撮ったものがただそのようには見えず、
(水の像であることは明らかなのだけれど)何か別のもののようで
どの写真も画としてはあくまで静謐であるのにドキドキと
何とも、心ざわめく展示だった。
(写真は会場で販売されている図録より。1部 300円)
2009.10.22 「神」は写真に写るのか
ちょっと風邪気味なので、今日は外に出ず、白洲信哉著『白洲正子の宿題 「日本の神」とは何か』を読みました。「家庭画報」に連載されたものをまとめたもので、高千穂、熊野、出雲、白山、沖縄、そして、三輪山、二上山、葛城、吉野、春日・・など日本の神々を訪ねる旅の記録です。こういうものにはすごく興味があるので、この連載の写真は私が担当したかったものだと思いながら、自分にもっとも身近な(私が生まれた)奈良県の葛城から読み進みました。読みながらこれらの神々が宿るとされる土地を私が撮るとした場合、「神」なるものを写真に写す事ができるのか、自分がかつてそこに立ったときの情景を思いだしながら考えました。私は日本における「神」とははっきりとした形を持つものではなく、ある特定の土地や自然やモノが放つ「気配」のようなものだと思うのです。その気配のような目に見えない「神」を写す事ができるのか。既成のイメージを増幅して神なるものをイラストレートするのはそう難しいことではありません。しかしそれではつまらない。神なるものを自分のイメージで「写す」のではなく、自分が意図することなく神なるものが「写っている」そんな写真を撮りたいものだと考えながらページをめくっていきました。(六田知弘)
上の文章は六田さんのオフィシャルページ内<トピックス>の項
「写真家・六田知弘の近況」(毎週水曜日更新)2009年の記事より
引かせていただいたものだが、今回の展示は六田さんのこのような思考の
延長上にあるものなのかな、と感じた。
私はこれまで六田さんの作品を拝見したことはなかったのだけれど
六田さんご自身が上記トピックスの本年9月12日の記事で
「今回は真新しい加島美術の空間に、私としても新たな展示表現で臨みました。
従来の私のものとは少し違うので、戸惑い、受け入れ難いと思われる方も
いらっしゃるかと思いますが、私の写真の本質的なところは
何らブレはありません。」と書いておられるので
それまでの表現とは一線を画する新境地を開かれたということだろう。
そんなよいときに六田さんという写真家に出会うことができ、
ちょっと悔しいけれどネット広告に感謝している次第。
時期はまだ未定とのことだが、「水」ではじまったこのシリーズは
今後も「地」「 火」 「 風 」「 空」をテーマに展開されるそうなので
次の展示を楽しみに待ちたいと思う。
写真家 六田知弘展 「水ノ貌 MIZU NO BO 」
偶然と必然の間に・地 / 水 / 火 / 風 / 空
会 期 2014.9.9[tue]― 9.30[tue]
10:00―18:00 *会期中無休
会 場 加島美術 [ 観覧料:無料 / 展示点数:約45点 ]
*詳細は こちら
by immigrant-photo
| 2014-09-28 12:21
| 美術展