2014年 07月 11日
角田光代『ロック母』 |
少し勢力が衰えたとはいえ、史上最大級の台風が近づいてくる。
雲を走らせる強風は、湿気を含んで重い。
そんな不穏な空気の中で、読みかけのままだったこの本を
昨日読み終えた。
お恥ずかしい話だが、本を1冊最後まで読み切ったのは
ものすごく久しぶりのことだ。
最近なかなか落ち着いて本を読む時間がなく、
しかも老眼が進んで、すぐ目が疲れてしまうので
もともとの遅読に拍車がかかり、1冊読み通すことが
どうしてもできずにいた。
だから、とにかく1冊読み終えたということに
まずは心から安堵した、というのが正直なところである。
そして今回この本を何とか読み通すことができたのは
冒頭のような気象条件も無関係ではなかった
という気がしてならないのだ。
角田光代という作家が特別好きなわけではない。
というか、随分昔に1冊読んだことがあるだけだった。
たぶん私がまだ20代の頃で、
それがどの作品であったのか、今となってはもはや
そのタイトルさえ思い出すことができないのだが
全編イライラと嫌悪感、そして憎悪に満ちていて息苦しく、
読み終わった時には、ほっとした。
ざらっとした、さびしいような哀しいような気分が残った。
以来ずっと、この作家の作品は読まなかった。
ところが先日、ふらっと立ち寄った本屋で何気なく手にしたこの本の1行目
「だれか一人殺してもいいと神様に言われたら、肉屋の主人を狙う。
あの肉屋は物心ついたときから嫌いだった。」
という文章を読んだ時、随分昔に感じたあの感触が蘇り
快/不快でいえば明らかに不快に属する感触であるにも拘らず
ある種の懐かしさを覚えて、つい買ってしまったのだった。
この作家はまだ怒り続けているのかと、呆れるのを通り越して
軽く敬意を覚えながらページを繰る。
実際にはこの本は1992年〜2006年の間に書かれた短編をまとめた
もので、冒頭の「ゆうべの神様」は1992年作者25歳の時の作品だから
同年代の私が昔読んだものと、時期的には同じ頃のものということになる。
私が感じたのが“懐かしさ”だったとしても、
あながち見当はずれではなかったというわけだ。
作品の中を吹き荒れる暴風に引き摺られ、
窓の外の実際の強風にも背中を押されるようにして、読み進んだ。
十数年に渡って書き上げられた全7篇の根底には、
脈々と、苛立ちと怒りが流れていて、
そのことに、小説としての好みはさておいて
ただただ圧倒されてしまう。
その点については、昔読んだ作品に抱いた感想とさして変わらない。
しかし自分で少しあれ?と思ったのは、
作品の中で荒れ狂い、怒鳴り散らし、叫びまくっている
はた迷惑で、自分勝手な、面倒くさい人たちの姿に、
一抹のいじらしさのようなものを感じてしまったことだった。
そんな風にしてでも、何とかやっていかなくてはならないというのは
本人それぞれにとっては、なかなか大変なことなんだよねぇ。
だからまぁ、がんばれよ・・・みたいな。
それだけ私が年をとったというだけのことかもしれないが。
また20年ぐらい経ったら、ふと、この人の本を
読んでみたくなるかもしれない。
その時私は、どんなことを思うのだろうか。
by immigrant-photo
| 2014-07-11 11:45
| 本