2013年 05月 22日
『愛、アムール』(公開中) |
新しくできたショッピング・モール内の映画館に初めて行った。
4月下旬にオープンしたばかりの真新しいシアター。
主演のエマニュエル・リヴァがアカデミー主演女優賞の最高齢候補
になったことでも話題となり
実際、カンヌのパルムドール、アカデミー外国語映画賞を受賞した本作だが
予告編が始まった時点で、観客は私一人だった。
ついに、まさかの “貸し切り” 実現か!?
と密かに興奮したが、その後初老の女性が一人
私の斜め後ろの席に座られて、“貸し切り” は叶わなかった。
でも、一人っきりで見たのじゃなくてよかったかもしれない。
1本見終わって、しんとした気分で映画館を出た。
ゆったりと老後の生活を楽しむ知的で裕福な音楽家夫婦の生活は、
妻の突然の病気によって大きく変わらざるを得なくなった。
簡単なはずの手術が失敗し、ピアノ教師だった妻は半身不随に。
それでも気丈にふるまい、夫を気遣いつつこれまで通りの生活を
続けようとしていた妻だったが、病は容赦なく進行、
容態は著しく悪化していく。
壮絶を極める老老介護の日々。
その日常を、ほぼ定位置に固定されたカメラが映す映像とともに
いや、時にはそれ以上に描きだすのが様々な「音」だ。
流しっぱなしになった水の音
それが突然止まったあとに続く無音
片足を少しひいて歩く夫の足音
ドアの鍵をかける音
掃除機の音
髪をとかすブラシの音
ナイフやフォークが皿に当たる音
古いアルバムのページをめくる音
便せんの上を走るペンの音
クローゼットに並ぶハンガーがたてる音
普通なら気にならないようなこれら日常の音が
なんと雄弁に多くを物語ることか。
ささやかでありふれた音の内に在るドラマに
あらためて気付かされた思いだった。
フランス映画の常道というか、ラストシーンにはオチがなく
クレジットが流れ始めてから、こちらが「え・・・ここで終わっちゃうわけ?」と
慌ててしまうようなぶっきらぼうさだが、私は
この放り出された感がフランス映画の大きな魅力だと思っているので、満足。
帰宅後、少しレビューなど読んでみた中に
“やはりフランス映画なので、起承転で終わりなのです。
結は個人、一人一人に委ねられます。”
というコメントをみつけて、我が意を得た思いだった。
尤も本作の場合、映画の中の出来事としての結末は示されている。
というか、そもそもそのシーンからこの映画は始まるのだ。
その、ある意味ありがちな老老介護の行く末を承知したうえで
観客は、そこに至るまでの日々を見続けることになる。
そして結論を示さないまま、映画は終わった。
唐突なラストシーンのあとに茫漠とひろがる余白に感じるのは
やはり愛、といってよいものなのかもしれない
という思いに、昨日見終わってからずっと考え続けて漸く至った。
by immigrant-photo
| 2013-05-22 11:29
| 映画