2013年 02月 07日
『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』 |
大雪の予報がめでたく空振りに終わった昨日、
1日中どんよりして降ったり止んだりのはっきりしない空模様に
引きずられるように、こちらもぐずぐずと1日を過ごしてしまったのだが、
寝転がったまま、ぼんやりとこの映画のことを思い返していた。
この映画を観たのは昨年末。
夕方から都内での撮影があったので、早めに出かけて
映画を観てから撮影場所に向かうことにしたのだった。
私は普段、あまりこういうことはしないのだが、
何しろあの佐野洋子さんの、あの「100万回生きたねこ」の映画である。
どういう映画かという情報はあまり持っていなかったが
2010年11月5日に亡くなってしまった佐野さんの
生前の声が聴けるという、それだけでも私には充分だった。
仕事前にテンションを上げるつもりで、映画館のシートに収まった。
90分後。
何とも言えない気分で、映画館から出ると
いつも映画や本の話をする、学生時代からの親友にメールをした。
大きな戸惑いとともに。
なぜ佐野さんの人生最後の時間を共にしながら、
そして「100万回生きたねこ」という稀有な作品をテーマにしながら、
こういう映画になってしまったのか、全く理解できなかった。
それで彼女の感想を聞いてみたかったのだが、
その時点では、彼女の住む大阪ではまだ本作が公開されておらず
私はただ、自分の戸惑いを文面で伝えるに留めた。
先日、ついに彼女とこの映画の話をすることができた。
本ブログ2013年1月18日付の5時間にわたる長電話が、それだ。
私たちが特に違和感を感じたのは、佐野洋子という
ひたすらまっすぐで、飾りものの一切必要ない人を描くには
あまりに腰が引けていて、イメージに流れ過ぎている点だった。
佐野さんは、最もそういうことが似合わない人のように思うのだが。
「私もうすぐ死ぬからさ」なんて、
あんなに普通の声で、さらっと言ってしまえる人はなかなかいない。
それは佐野さんが子どもの頃に小さな弟や、尊敬してやまなかった
大好きな兄を亡くされたことと無関係ではないだろう。
それらの体験を通して佐野さんは、子どもであるがゆえに、
子どもらしくまっすぐに、人の死というものを理解されたのだと思う。
それ以来ずっと、佐野さんにとって
死は、生きていることと同じぐらい近くにあった。
今さら、とりたてて騒ぐほどのことでもなし。
その肝の座り具合と比べるのは酷なのかもしれないが、
この映画はどうしても逃げ腰に見えてしまう。
小谷監督が初めて佐野さん宅を訪問したとき、
佐野さんに開口一番「アンタ、わたしの映画作るんだったら、
わたしが死ぬこと、どう考えてるの?」
と言われて、ビビりあがったそうだが
そういうビビり感が映画の全体を覆っているのが、
佐野洋子の映画としては特に、心地悪く感じられるのだった。
ただ、佐野さん本人へのインタビューのシーンはとてもよかった。
本人の意向で顔出しNG、声だけの出演なので、
その間は佐野さんのご自宅やアトリエの映像が淡々と流れる。
佐野さんの声は、ああやはりと心から納得するような声で
そのせいか、初めて聞くのにどこか懐かしい。
別の形で構わないので、インタビューだけまとめていただけないものかと
切望する佐野洋子ファンは多いのではなかろうか。
監督、ぜひご一考ください。
因みに、親友ERIさんによるレビューはこちら ↓
おいしい本箱 book cafe
1日中どんよりして降ったり止んだりのはっきりしない空模様に
引きずられるように、こちらもぐずぐずと1日を過ごしてしまったのだが、
寝転がったまま、ぼんやりとこの映画のことを思い返していた。
この映画を観たのは昨年末。
夕方から都内での撮影があったので、早めに出かけて
映画を観てから撮影場所に向かうことにしたのだった。
私は普段、あまりこういうことはしないのだが、
何しろあの佐野洋子さんの、あの「100万回生きたねこ」の映画である。
どういう映画かという情報はあまり持っていなかったが
2010年11月5日に亡くなってしまった佐野さんの
生前の声が聴けるという、それだけでも私には充分だった。
仕事前にテンションを上げるつもりで、映画館のシートに収まった。
90分後。
何とも言えない気分で、映画館から出ると
いつも映画や本の話をする、学生時代からの親友にメールをした。
大きな戸惑いとともに。
なぜ佐野さんの人生最後の時間を共にしながら、
そして「100万回生きたねこ」という稀有な作品をテーマにしながら、
こういう映画になってしまったのか、全く理解できなかった。
それで彼女の感想を聞いてみたかったのだが、
その時点では、彼女の住む大阪ではまだ本作が公開されておらず
私はただ、自分の戸惑いを文面で伝えるに留めた。
先日、ついに彼女とこの映画の話をすることができた。
本ブログ2013年1月18日付の5時間にわたる長電話が、それだ。
私たちが特に違和感を感じたのは、佐野洋子という
ひたすらまっすぐで、飾りものの一切必要ない人を描くには
あまりに腰が引けていて、イメージに流れ過ぎている点だった。
佐野さんは、最もそういうことが似合わない人のように思うのだが。
「私もうすぐ死ぬからさ」なんて、
あんなに普通の声で、さらっと言ってしまえる人はなかなかいない。
それは佐野さんが子どもの頃に小さな弟や、尊敬してやまなかった
大好きな兄を亡くされたことと無関係ではないだろう。
それらの体験を通して佐野さんは、子どもであるがゆえに、
子どもらしくまっすぐに、人の死というものを理解されたのだと思う。
それ以来ずっと、佐野さんにとって
死は、生きていることと同じぐらい近くにあった。
今さら、とりたてて騒ぐほどのことでもなし。
その肝の座り具合と比べるのは酷なのかもしれないが、
この映画はどうしても逃げ腰に見えてしまう。
小谷監督が初めて佐野さん宅を訪問したとき、
佐野さんに開口一番「アンタ、わたしの映画作るんだったら、
わたしが死ぬこと、どう考えてるの?」
と言われて、ビビりあがったそうだが
そういうビビり感が映画の全体を覆っているのが、
佐野洋子の映画としては特に、心地悪く感じられるのだった。
ただ、佐野さん本人へのインタビューのシーンはとてもよかった。
本人の意向で顔出しNG、声だけの出演なので、
その間は佐野さんのご自宅やアトリエの映像が淡々と流れる。
佐野さんの声は、ああやはりと心から納得するような声で
そのせいか、初めて聞くのにどこか懐かしい。
別の形で構わないので、インタビューだけまとめていただけないものかと
切望する佐野洋子ファンは多いのではなかろうか。
監督、ぜひご一考ください。
因みに、親友ERIさんによるレビューはこちら ↓
おいしい本箱 book cafe
by immigrant-photo
| 2013-02-07 23:17
| 映画