2012年 05月 31日
<川内倫子展関連イベント> 対談 内藤礼 × 川内倫子 |
娘が復活して元気に登校したので、一昨々日の続きを。
5月25日の盛りだくさんメニューの最後を飾ったのは
川内倫子さんと、現代美術作家の内藤礼さんとの対談だった。
白状するが、このお二人のお姿をこの目で見られるなんて♪という
超ミーハーな気分が、まずあった。
しかし、当然といえば当然なのだが、その内容のおもしろかったこと!
お二人は雑誌「PHP」誌上でのコラボ企画で知り合われたそうだ。
内藤さんから送られてくる短い文章に対して、
川内さんが、ご自分のアーカイブの中から1枚、写真を選ぶ。
「不思議と、迷うことは一度もなかったですね」と、川内さん。
実際に顔を合わされたのは、その連載が終わってからで
それから約1年経ったこの日が2回目の対面とのこと。
初めこそ、お互い少し緊張されているのかな、と感じたが
一つ一つ実に丁寧に言葉を選びながら話される内藤さんを
川内さんがリードするような形で話が進むうちに
どんどんおもしろくなって、途中から時間を忘れた。
特に印象に残っているのは、先にも書いた映像作品に関する対話で
内藤さんが
「今回は映像作品も展示されていますよね・・・
それを見てから写真を見ると、何か、気持ち悪いと感じたんです。
あ、悪い意味じゃなくて(と、内藤さんは笑いながらここを何度も強調)
不気味というか、止まっていることの異様さを殊更強く感じて。
写真を見てそんな風に感じたのは初めてでした。」
と感想を話されたのに対して、川内さんからは
「写真というのは、本来ずっと流れているはずの時間を
無理矢理止めているわけですから、そのこと自体が気持ち悪いですよね。
止められない時間を止めたいという欲求が、自分を写真に
向かわせていると思う。
自分の中では、動画はより生に近く、写真はより死に近いイメージ」
という発言があった。
写真が死に近い、というのは、身体感覚としても感じることがある。
たぶん誰でも、シャッターを押す瞬間は息を止めるのではないかと思うが
これって、大げさに言えば一瞬だけ死ぬようなもので。
少しだけ、生から足を踏み外すというか、
生きることからちょっとだけ下りるというか・・・
もちろん、ほんの一瞬だけなんだけれども
そういう逸脱感があるのは確か。
それに対して動画は、息を止めては録れない。
息をしながら、対象をずっと見続けること。
逸らさず、生き続けること。
この在り方の違いというのは、とても大きいと思う。
・・・などと書いている途中で、今度は息子が不調〜 ( > < )
本日はこれにて。
5月25日の盛りだくさんメニューの最後を飾ったのは
川内倫子さんと、現代美術作家の内藤礼さんとの対談だった。
白状するが、このお二人のお姿をこの目で見られるなんて♪という
超ミーハーな気分が、まずあった。
しかし、当然といえば当然なのだが、その内容のおもしろかったこと!
お二人は雑誌「PHP」誌上でのコラボ企画で知り合われたそうだ。
内藤さんから送られてくる短い文章に対して、
川内さんが、ご自分のアーカイブの中から1枚、写真を選ぶ。
「不思議と、迷うことは一度もなかったですね」と、川内さん。
実際に顔を合わされたのは、その連載が終わってからで
それから約1年経ったこの日が2回目の対面とのこと。
初めこそ、お互い少し緊張されているのかな、と感じたが
一つ一つ実に丁寧に言葉を選びながら話される内藤さんを
川内さんがリードするような形で話が進むうちに
どんどんおもしろくなって、途中から時間を忘れた。
特に印象に残っているのは、先にも書いた映像作品に関する対話で
内藤さんが
「今回は映像作品も展示されていますよね・・・
それを見てから写真を見ると、何か、気持ち悪いと感じたんです。
あ、悪い意味じゃなくて(と、内藤さんは笑いながらここを何度も強調)
不気味というか、止まっていることの異様さを殊更強く感じて。
写真を見てそんな風に感じたのは初めてでした。」
と感想を話されたのに対して、川内さんからは
「写真というのは、本来ずっと流れているはずの時間を
無理矢理止めているわけですから、そのこと自体が気持ち悪いですよね。
止められない時間を止めたいという欲求が、自分を写真に
向かわせていると思う。
自分の中では、動画はより生に近く、写真はより死に近いイメージ」
という発言があった。
写真が死に近い、というのは、身体感覚としても感じることがある。
たぶん誰でも、シャッターを押す瞬間は息を止めるのではないかと思うが
これって、大げさに言えば一瞬だけ死ぬようなもので。
少しだけ、生から足を踏み外すというか、
生きることからちょっとだけ下りるというか・・・
もちろん、ほんの一瞬だけなんだけれども
そういう逸脱感があるのは確か。
それに対して動画は、息を止めては録れない。
息をしながら、対象をずっと見続けること。
逸らさず、生き続けること。
この在り方の違いというのは、とても大きいと思う。
・・・などと書いている途中で、今度は息子が不調〜 ( > < )
本日はこれにて。
by immigrant-photo
| 2012-05-31 22:37
| 美術展