2011年 12月 12日
一篇の詩 —エピローグにかえて— |
個展が終わってすでに2ヶ月が経った。
なのにこちらでいつまでもぐずぐず書き連ねるのはどうなのか?
と、内心忸怩たる思いもありながらの連載中のある日、
私は1通の封書を受け取った。
失礼ながら差出人の市村幸子さんというお名前を
きちんと記憶してはいなかったのだが、中のお手紙を拝読して
ああ、やはり・・・と思い当たった。
展示をとても丁寧に観て下さって、
少しお話しもさせていただいた方だった。
自作について語るときでさえ雄弁とは言い難い私の
訥々とした話しぶりにもきちんと耳を傾けて
しっかりと、しかしやわらかく返して下さる。
言葉を大切にされる方だな、と思ったら
詩を書かれるとのことだった。
封書には一篇の詩が同封されていた。
展示作品の印象を、
あの日、あの場所で交わした言葉とともに
2ヶ月もの間懐に抱いてあたため、発酵させて、
このような形にして届けて下さったのだった。
そのことがとてもうれしかった。
お許しをいただくことができたので、最後にその詩をご紹介して
個展を振り返ってきたこの長いシリーズの結びとしたい。
いってきの水の真(まこと)
市村 幸子
水道の蛇口から
落ちる
いってきの水
何の変哲もない この現象に注目した
ひとりの 写真家
蛇口をひねる 水が出る
人は この現象に慣れすぎたのか
もはや いってき という単位すら忘れ
水を 自在に使いこなしていると錯覚する
たかが いってき
その いってきの水
常軌を逸した迫力で画面を圧倒する
蛇口から地面までの 距離
加速度をつけて落ちる 速さ
飛び跳ねる 飛沫
一瞬にして幕を閉じるドラマ
不可視のはずの いってきの水の姿
知っているつもりでいた
しかし
いってきの水の エネルギーの烈しさ
いってきの水の 美の嬌艶
瞬時を写し出すことで
あらわにされた 水の真の姿
知らなければならない
気付かなければならない
人は 水を使いこなしているのではないことを
人は 水を支配しているのではないことを
いってき いってき が 寄り集まって
時には 人を襲うほどの力にもなることを
無言のつぶやきが
響き 聞こえる
— 大塚 忍 写真展『水の宴』を観て —
なのにこちらでいつまでもぐずぐず書き連ねるのはどうなのか?
と、内心忸怩たる思いもありながらの連載中のある日、
私は1通の封書を受け取った。
失礼ながら差出人の市村幸子さんというお名前を
きちんと記憶してはいなかったのだが、中のお手紙を拝読して
ああ、やはり・・・と思い当たった。
展示をとても丁寧に観て下さって、
少しお話しもさせていただいた方だった。
自作について語るときでさえ雄弁とは言い難い私の
訥々とした話しぶりにもきちんと耳を傾けて
しっかりと、しかしやわらかく返して下さる。
言葉を大切にされる方だな、と思ったら
詩を書かれるとのことだった。
封書には一篇の詩が同封されていた。
展示作品の印象を、
あの日、あの場所で交わした言葉とともに
2ヶ月もの間懐に抱いてあたため、発酵させて、
このような形にして届けて下さったのだった。
そのことがとてもうれしかった。
お許しをいただくことができたので、最後にその詩をご紹介して
個展を振り返ってきたこの長いシリーズの結びとしたい。
いってきの水の真(まこと)
市村 幸子
水道の蛇口から
落ちる
いってきの水
何の変哲もない この現象に注目した
ひとりの 写真家
蛇口をひねる 水が出る
人は この現象に慣れすぎたのか
もはや いってき という単位すら忘れ
水を 自在に使いこなしていると錯覚する
たかが いってき
その いってきの水
常軌を逸した迫力で画面を圧倒する
蛇口から地面までの 距離
加速度をつけて落ちる 速さ
飛び跳ねる 飛沫
一瞬にして幕を閉じるドラマ
不可視のはずの いってきの水の姿
知っているつもりでいた
しかし
いってきの水の エネルギーの烈しさ
いってきの水の 美の嬌艶
瞬時を写し出すことで
あらわにされた 水の真の姿
知らなければならない
気付かなければならない
人は 水を使いこなしているのではないことを
人は 水を支配しているのではないことを
いってき いってき が 寄り集まって
時には 人を襲うほどの力にもなることを
無言のつぶやきが
響き 聞こえる
— 大塚 忍 写真展『水の宴』を観て —
by immigrant-photo
| 2011-12-12 10:04
| thinking