2011年 11月 16日
写真展 <水の宴> のこと #2 |
会場の様子を撮った写真を見ながら・・・と言いたいところだが、
その手の記録写真らしいものは
各壁面を1枚ずつ一通り撮ったものだけしかなかった。
もっと撮っておくべきだったかもしれない。
それはともかく。
入り口を入ってすぐの右手の壁には
A2サイズの写真を2枚貼った。
今回の展示はA0~A3サイズの大判写真を中心に構成してみたが
普段は専らネット上にアップするだけで、滅多にプリントすることはないので
“モノ”としての写真というのがまず新鮮だった。
大判写真だったので、余計に、モノとしての存在感を感じた。
宅急便を受け取ったら、ずっしり重いんだもの。
白い手袋をしてその束から1枚ずつ抜き出して見る写真は
うちのノートパソコンの画面で見るのとは、やはり違う。
自分の写真を手に取ってみるということ。
画像としてではなく、折れたり曲がったり破れたりするモノとして扱うこと。
ただそれだけのことにこれだけ強い感慨を覚えたのは
デジタル時代ならでは、というか。
年は食っているがデジタルになってから写真を始めた人間として
このあたりはこれから特に意識していかないといけないと思った。
これからも、たまには大きくプリントして、
それら現実に存在するモノとしての自分の写真と
まずは文字通りの意味で正面から対峙する機会を持つようにしていきたい。
(けど、大判プリントは高い!これも今回初めて知りました・・・泣)
その手の記録写真らしいものは
各壁面を1枚ずつ一通り撮ったものだけしかなかった。
もっと撮っておくべきだったかもしれない。
それはともかく。
入り口を入ってすぐの右手の壁には
A2サイズの写真を2枚貼った。
今回の展示はA0~A3サイズの大判写真を中心に構成してみたが
普段は専らネット上にアップするだけで、滅多にプリントすることはないので
“モノ”としての写真というのがまず新鮮だった。
大判写真だったので、余計に、モノとしての存在感を感じた。
宅急便を受け取ったら、ずっしり重いんだもの。
白い手袋をしてその束から1枚ずつ抜き出して見る写真は
うちのノートパソコンの画面で見るのとは、やはり違う。
自分の写真を手に取ってみるということ。
画像としてではなく、折れたり曲がったり破れたりするモノとして扱うこと。
ただそれだけのことにこれだけ強い感慨を覚えたのは
デジタル時代ならでは、というか。
年は食っているがデジタルになってから写真を始めた人間として
このあたりはこれから特に意識していかないといけないと思った。
これからも、たまには大きくプリントして、
それら現実に存在するモノとしての自分の写真と
まずは文字通りの意味で正面から対峙する機会を持つようにしていきたい。
(けど、大判プリントは高い!これも今回初めて知りました・・・泣)
by immigrant-photo
| 2011-11-16 00:32
| thinking