2011年 05月 28日
水のことを、もう少し。 |
実を言うと、震災のあとしばらく水を撮らなかった。
もちろん、余震もひどかったし生活面でもまさに非常事態で
そもそも写真どころじゃなかったというのもあるけれども
何しろあの津波の映像が圧倒的すぎて。
おそろしすぎて。
台所やら洗面所やらの蛇口から出る水を
或いはボウルに溜めた水を
喜々として撮ってきた自分が、つくづく馬鹿らしく思えた。
水は形が定まらないから、絞りとシャッタースピードをいじれば
いくらでも不思議な画像が撮れておもしろい。
けど、それがどうしたというのだろう?
でも、そう思う今だからこそ撮ってみなくてはいけないのかもしれない。
敢えてそう思うことにして、恐る恐る再び水にカメラを向けてみたのは
震災から10日ほど経った夜だった。

死んでますね、この写真は。
結局、ほんの少し撮ってみただけでやめてしまった。
水を撮るということ。
理由もわからないまま、この数年ずっと熱中してきたことだから
このままもう水は撮らないかもしれない・・・と思うと少しさびしかったけれど、
後から振り返れば「はしかみたいなものだったわねぇ」なんて思うのかも?
とにかく、もう水はいいや・・・という気分だった。
もちろん、余震もひどかったし生活面でもまさに非常事態で
そもそも写真どころじゃなかったというのもあるけれども
何しろあの津波の映像が圧倒的すぎて。
おそろしすぎて。
台所やら洗面所やらの蛇口から出る水を
或いはボウルに溜めた水を
喜々として撮ってきた自分が、つくづく馬鹿らしく思えた。
水は形が定まらないから、絞りとシャッタースピードをいじれば
いくらでも不思議な画像が撮れておもしろい。
けど、それがどうしたというのだろう?
でも、そう思う今だからこそ撮ってみなくてはいけないのかもしれない。
敢えてそう思うことにして、恐る恐る再び水にカメラを向けてみたのは
震災から10日ほど経った夜だった。

死んでますね、この写真は。
結局、ほんの少し撮ってみただけでやめてしまった。
水を撮るということ。
理由もわからないまま、この数年ずっと熱中してきたことだから
このままもう水は撮らないかもしれない・・・と思うと少しさびしかったけれど、
後から振り返れば「はしかみたいなものだったわねぇ」なんて思うのかも?
とにかく、もう水はいいや・・・という気分だった。
by immigrant-photo
| 2011-05-28 11:26
| wanderings