2011年 04月 10日
畠山直哉 『 Underground 』 |
土門拳、森山大道、星野道夫、アラーキー・・・
写真家には、文才も兼ね備えておられる方が多いが
畠山直哉さんも、その一人だ。
本としてまとめられた形で読んだことはないものの、
他のアーティストの図録に寄せられた文章などを読んだことが何度かあり、
独特の視点から切り込みながらもそれが決してあざとい感じを与えず、
自分の中から、ゆっくり確かめるように言葉を選んできては
さらに考えながら文章にまとめあげたような
丁寧で誠実な、真に知的な印象を受ける文章に好感を持った。
どんな写真を撮られるのだろう?と思って、ネットで見てみたら
かっちりした構図の、いかにも男のひとらしい写真で、
けれどもそのきちんとした中に、
どこか生き物の呼気のような湿っぽい生温かさ、
割り切れないまま人知れず沈んでいった澱のようなものも
感じられるのだった。
一見非常にくっきりした画でありながら、
そういうぬるっとした得体の知れないようなものの存在も
そのまま受け容れているようなところがまた
とてもいいなぁ、と思った。
アマゾンのサイトでこの本に行き着いたのは、偶然だった。
まだあの大きな地震からそれほど日が経っていなくて
どうせまだ注文できないんだろうなぁ、と思いながら
久しぶりにアマゾンを見てみたら
丁度その日から配達が再開されたというので
何か頼んでみたくなったのだ。
でも“何か”って、何?
いろんな書名やら作者名やらで検索をかけてみては、
そこからまたどんどん辿って・・・
この本が出てきたときに、これだ!と思った。
中古だが状態はよさそうだ。
早速注文しようとしたのだが、どうもうまくいかない・・・
改めてよく読んでみたら、アマゾンでも中古を扱う部門では
まだ茨城を含む被災地域への配達が再開していないのだった。
がっかりして、しかしそれだけで諦める気になれなかったのは
中古だから機を逸すると同じものはもう手に入らない
という理由からだけではなかったように思う。
私は送り先を大阪の実家の住所に指定し直し
妙に切実な思いとともに、注文ボタンをクリックした。
本が到着するころに帰省する予定があったので
グッドタイミングではあったのだが、
そのことを予め母に伝えておくのをすっかり忘れていたために、
頼んだ覚えもないのに送りつけられてきた郵便物を
「新手の詐欺かと思った」と母。
そうまでして、なぜ今、私はこの本と出会ったのか。
それが自分なりにわかったのは、畠山さんご本人による前書きの中に
このようなくだりを見つけたときだ。
きっと「自然」とは、人間の精神に対して徹底的に無関心を装うものたちに、僕たちの先人が、最後にどうしようもない気持ちになって与えた言葉なのだ。空も山も水も光も、そして写真さえも、人間に対して無関心で、僕たちをどうしようもない無力感にいざなうからこそ「自然」と呼ばれているのだろう。これはまさしく、今回の震災で私たちがつくづく思い知らされたことではないか。
僕たちはいつも、世界のすべての事象に対して「人間」を投影しようと企て、そしていつも、最終的に挫折を味わう。「自然」はその挫折の地点に出現する。その瞬間の「自然」の姿が、たとえ畏れや美や崇高や癒しに満ちていたとしても、それは闇の中の事物が一瞬あらわすフォルムや色彩と同じように、「自然」自身にとっては、どうでもいいことだろう。
繰り返し流される大津波の映像。
たくさんの命を、車や家や学校を、つつましく重ねられてきた日々の暮らしを、
こともなげに根こそぎ押し流していく津波は言葉通り“無情”であって、
そこには悪意さえ存在しない。
そのことが私たちをますます傷つけ、
もはや言葉で言い表しようのないほどの無力感に陥らせる。
この無力感を消し去ることはできないだろう。
けれど、そこに絡めとられたままでは生きていけない。
私たちは、これからどうやって前に進んでいくべきか・・・
そんなことを思いながらめくる本編は、
実は、いわゆる自然写真集ではなく
渋谷の地下5メートルを流れる地下水路で撮られた写真を編んだものだ。
たくさんの人間が行き交う大都市の地下を迷路のように流れる地下水路は
もちろん極めて人工的な構造物である。
明るく賑やかな地上と違って、
普段は光も射さず、誰に省みられることもなく
けれどもそんなことは意にも介さずに在り続けているものたちや、
そのような場所で暮らすいきものたちに
畠山さんは光をあて、カメラを向けた。
シャッターを切りながら、彼はいいようのない孤独を感じたというが、
それは「自然」を前に私たちが感じる無力感に通じるものであったらしい。
この真っ暗闇の中のすべての存在のうち、光を必要としているのは、僕一人だけだった。光などなくとも、こうしてこの世界はずっとここにある。僕は「ここにあるもの」以外のものを必要としている、完全な部外者だった。闇の中でただ一人光を求めた彼のように、
「ここにあるもの」以外のものを必要としてしまうのが人間であるならば、
無情の「自然」に対して、私たちは何をよりどころにして向き合っていけばいいのか。
それを私たちはこれから探していかなくてはいけないのかもしれない。
by immigrant-photo
| 2011-04-10 19:11
| 本