2011年 01月 07日
『ノルウェイの森』 (公開中) |
村上春樹の原作を読んだのは、もう20年以上前のことだ。
私はいわゆるハルキストではなく、ごくふつうに読んで、人並みに感銘を受けた。
その後、折にふれて、もう一度読み返してみたいなぁ、と思いながらも
果たせぬまま歳月が経ってしまったので、
映画化を機に、もう一度読んでみることにした。
読んでみて軽くショックを受けた。
かつて親密な感じを持っていたこの小説が、随分遠くなった気がして。
つまらなかったというのではない。
相変わらずおもしろくてぐいぐい引き込まれ、
だからこの遅読の私が、たった2日間で上下巻を読み終えることができたのだ。
なのに、遠い。
この距離感は何なのだろうとういう思いをかかえながら、
映画館に向かった。

映画を観終わった私は、ひどく複雑な気分だった。
失敗作だと、こきおろすことができたらまだしも気がラクだったの違いない。
でも、そう言って切り捨ててしまうには、映像はあまりにも美しく、
松山ケンイチ・菊地凛子の演技はすばらしいものだった。
監督は、トラン・アン・ユン監督。
映像美で世界的に有名な、ベトナム系フランス人だ。
原作者の村上さんがトラン監督作品のファンだったということもあって、
不可能と言われていた「ノルウェイの森」の映画化がついに実現したわけだが・・・
トラン監督が原作のどのようなところに魅かれて
それを自分の作品としてどのように描きたかったのかということが
私には全くわからなかった。
私の理解力が足りないせいだろうか・・・
ぼんやりしたまま映画館を出た。
たぶん原作を知る殆どの人が、冒頭でまず大きな疑問を感じたはずだ。
原作冒頭の非常に印象的なシーンが、きれいに省略されている。
それは、37歳になった主人公ワタナベがドイツを訪れるシーンだ。
着陸前の機内に流れた「ノルウェイの森」のメロディーが、
彼の思いを過去へと引き戻す。
回想という形をとることでうまれる距離感。
その後に語られることになる過去の日々は、もはや遠い。
遠くなり、俯瞰できるようになったからこそ
いろいろなことがはっきり見えてくるのだけれど、
見えてきたその時には、それらはすでに失われていて
二度と取り戻すことはできないのだ。
「ノルウェイの森」という小説のテーマにも関わる重要なシーンだと思うのだが
映画には、まずその部分がなかった。
これは余程の意図があってのことだろうと、その時は好意的に解釈し、
細かなつっこみどころにも敢えて目をつぶって観ることにしたのだが
一篇を観終わって、ますます混乱してしまった。
冒頭以外にも、そこは変えちゃイカンだろうっ!?と思う重要なシーンの
とても大切なところに手が加えられていて、
にもかかわらず、そのように変えることで監督が私たちに
どういうことを伝えたかったのかが、全く読めなかったからだ。
原作ものだからといって、小説をそのままなぞる必要は全くないと思う。
そうであればなお、どこを落としどこを残して、どのように表現するかを通して、
監督の想いがよりクリアに伝わってこないと。
少し話が逸れるけれど、以前観た『嫌われ松子の一生』は、
そのあたりが実に明快な映画だった。
原作で延々と綴られていた、服役中の松子をとりまく日常を、
ポップな歌で軽快なミュージカル仕立てにして、サラッと流してしまうという
ぶっ飛んだ演出があったりして、基本まじめな原作とは
かなり異なったテイストに仕上がっている。
それでも、私が原作者だったら、この映画にはとても感謝したと思う。
それは、映画監督の視点を通すことで、
原作のテーマがよりはっきりと浮かびあがっているからだ。
映画では、ちょっとした小物をうまく効かせて、
松子という女が生きた時代をとてもはっきりと感じさせている。
そのことで、ただ人より少し真面目すぎ、一生懸命過ぎただけの松子が、
なぜあんなにも破滅的な方向に突っ走ってしまったのか
ということがとてもリアルに納得できる。
そして松子の死後、その人生を追うことになる甥(映画では瑛太が好演)が
生きている、万事ライトでお手軽な現代ニッポンとのギャップも
原作以上にくっきりと際立ってくる。
この際、文学的に正しい解釈なのかどうかということはあまり問題ではなくて、
原作に大胆に手を加えられていながらも、その変えられたことによって
監督が原作をどのように理解し、映画化することによって
原作の世界をどのように表現したいのかということが
しっかりと伝わってくるので、この映画は充分にアリだと思ったわけだ。
けれど本作の場合、そういう、監督ならではの視点が私には感じられなかった。
印象に残ったシーンを順番につなぎあわせたような構成で、
けれど原作を忠実になぞるわけでもなく、
かなり重要な部分でちょこちょこと手が加えられており、
にもかかわらず、なぜそう変えるべきだったのか、という
監督の意図が全く伝わってこない。
監督は、原作の、一体どういうところに魅かれたのだろうか・・・
映像は、確かに美しかった。
特に、ワタナベと直子が二人で草原を歩くシーンなど、
現代日本でこのような場所を見つけ出し、こんなにも美しく撮ってくれた
というだけで、もう充分じゃないか・・・と思えるほどで
映像美に拘るトラン監督の面目躍如といったところ。
このシーンには、こうでなければという監督の強い想いが感じられ、
だからこそ、あんなにも静謐でありながら凄みさえ感じさせる画になったのだと思う。
惜しむらくは、他のシーンまできれいでありすぎた点か。
物語の舞台となっている1960年代後半から、1970年代にかけての時代といえば、
日本が一番ギンギンと熱苦しかった時代だ。
猥雑で胡散臭く、むやみにエネルギッシュだったあの時代に青春を過ごすということは、
ワタナベのような内省的な青年にとっては随分大変なことだっただろう。
「やれやれ」と一人ごちながら、それでも人はその時代の中で生きていくしかない、
そのやるせなさのようなものが、画面から伝わってこないのだ。
きれいすぎて。
何だか小洒落ていて、問答無用の猛々しい粗暴さが全然ないのだもの。
監督の美意識が、自分の作品にそういう要素をいれることを拒んだのかもしれないが。
そして一番残念だったのは、緑とレイコさん。
この映画が松山ケンイチと菊地凛子主演で映画化されるときいたとき、私は
「あぁ、確かに! いい “緑” が見つかったなぁ。でも直子は?」
と思った。菊地凛子の出演作は 『バベル』 しか観たことがなく、
そこでの役柄がたまたま強烈に “生” を感じさせるものだったから
そのイメージにひっぱられた面がないではないけれど、
渾身の演技が賞候補になり、当時いろいろな番組で取り上げられたので、
インタビューなどで素のままの彼女に触れる機会も多かった。
怖ろしいほど強靭な人だ。
殺されても死なないタイプ(褒め言葉です)というか、
どうあっても “生” の側にいる人だと思った。
演技力もあるから、一見突飛な言動に見え隠れする
緑ならではのかわいらしさもきっと旨く表現してくれるに違いない。
楽しみだなぁ・・・
けど、よくよくきいてみたら、菊地凛子は直子だという。
違和感はあったが、ならば緑は誰が?とまた楽しみになった。
菊地凛子の直子と対等にやりあうには
相当の人じゃないと務まらないはずだ。
そんな緑が、今の日本にちゃんといるんだ・・・誰だろう?
結果的には、難航の末、クランクイン直前にモデルの女の子が緑役に決まった。
素人目に見ても、演技経験のない彼女にこの役はさすがに重すぎだろう。
そして何より決定的に間違っていたのは、
彼女には、緑の最大の魅力である強烈な生命力が全く感じられなかったことだ。
透明感のあるきれいな子ではあったけれど、
緑を演じるにはどうにも線が細すぎた(体型的な問題ではなく)。
だから私としては、やはり菊地凛子の緑が見たかったなぁ、と
まだ未練がましく思ったりもするのだが、
直子役は菊地凛子自身の熱烈な希望により実現したというだけあって、
直子は直子でとてもよく演じられていたと思う。
彼女自身が原作を読み込んで、自分なりの直子をきちんと作りあげていたし
演技を通して、その直子を私たちに感じさせてくれた。
すごい女優さんだなぁ、とひたすら感心。
それだけに、緑が気の毒だった。
レイコさんについては、もう、思い出すのがつらい・・・
原作で最も好感をもった人物と言ってもいいキャラクターだったので、
あんなに惨めなラストシーンは見たくなかった。
原作では、直子の自殺という
どうしようもなく辛い経験を共有したワタナベ君とレイコさんが、
それでもやはり、自分たちはこれからも生きていくのだという
強い思いを感じさせる、感動的で力に溢れたシーンなのに、
何だかひどくあわれで惨めったらしく、救いがたいほど淋しいシーンに変貌している。
レイコさんは、トラン監督にはこんなに情けない女にしか見えなかったのだろうか?
年増女なんだから仕方ない?
・・・って、彼女はまだ38歳ですぜ。勘弁してくださいよ・・・と言いたい。
とまぁ、こんなようなことを、昨日の夜中に友だちと散々喋ったのだった。
初めて読んだときから20年の歳月が経ち、
物語の冒頭に青春時代を回顧する37歳のワタナベ君の年齢さえ
私たちにとってはもう一昔前になってしまった。
原作が遠くなるのも、仕方のないことなのかもしれないねぇ・・・
と互いの電話口で深くうなづきあう。
でも、友だちと私の間で交わされる会話というのは
出会ってから30年経った今も、大して変わり映えしないわけで、
その意味では私たちはまだまだ青春を続けているのやもしれず。
「青春万歳!」「ピース」(爆)
P.S. 長電話の友もまた、本作について こちら で熱く語っております。
ぜひご一読を ♪
私はいわゆるハルキストではなく、ごくふつうに読んで、人並みに感銘を受けた。
その後、折にふれて、もう一度読み返してみたいなぁ、と思いながらも
果たせぬまま歳月が経ってしまったので、
映画化を機に、もう一度読んでみることにした。
読んでみて軽くショックを受けた。
かつて親密な感じを持っていたこの小説が、随分遠くなった気がして。
つまらなかったというのではない。
相変わらずおもしろくてぐいぐい引き込まれ、
だからこの遅読の私が、たった2日間で上下巻を読み終えることができたのだ。
なのに、遠い。
この距離感は何なのだろうとういう思いをかかえながら、
映画館に向かった。

映画を観終わった私は、ひどく複雑な気分だった。
失敗作だと、こきおろすことができたらまだしも気がラクだったの違いない。
でも、そう言って切り捨ててしまうには、映像はあまりにも美しく、
松山ケンイチ・菊地凛子の演技はすばらしいものだった。
監督は、トラン・アン・ユン監督。
映像美で世界的に有名な、ベトナム系フランス人だ。
原作者の村上さんがトラン監督作品のファンだったということもあって、
不可能と言われていた「ノルウェイの森」の映画化がついに実現したわけだが・・・
トラン監督が原作のどのようなところに魅かれて
それを自分の作品としてどのように描きたかったのかということが
私には全くわからなかった。
私の理解力が足りないせいだろうか・・・
ぼんやりしたまま映画館を出た。
たぶん原作を知る殆どの人が、冒頭でまず大きな疑問を感じたはずだ。
原作冒頭の非常に印象的なシーンが、きれいに省略されている。
それは、37歳になった主人公ワタナベがドイツを訪れるシーンだ。
着陸前の機内に流れた「ノルウェイの森」のメロディーが、
彼の思いを過去へと引き戻す。
回想という形をとることでうまれる距離感。
その後に語られることになる過去の日々は、もはや遠い。
遠くなり、俯瞰できるようになったからこそ
いろいろなことがはっきり見えてくるのだけれど、
見えてきたその時には、それらはすでに失われていて
二度と取り戻すことはできないのだ。
「ノルウェイの森」という小説のテーマにも関わる重要なシーンだと思うのだが
映画には、まずその部分がなかった。
これは余程の意図があってのことだろうと、その時は好意的に解釈し、
細かなつっこみどころにも敢えて目をつぶって観ることにしたのだが
一篇を観終わって、ますます混乱してしまった。
冒頭以外にも、そこは変えちゃイカンだろうっ!?と思う重要なシーンの
とても大切なところに手が加えられていて、
にもかかわらず、そのように変えることで監督が私たちに
どういうことを伝えたかったのかが、全く読めなかったからだ。
原作ものだからといって、小説をそのままなぞる必要は全くないと思う。
そうであればなお、どこを落としどこを残して、どのように表現するかを通して、
監督の想いがよりクリアに伝わってこないと。
少し話が逸れるけれど、以前観た『嫌われ松子の一生』は、
そのあたりが実に明快な映画だった。
原作で延々と綴られていた、服役中の松子をとりまく日常を、
ポップな歌で軽快なミュージカル仕立てにして、サラッと流してしまうという
ぶっ飛んだ演出があったりして、基本まじめな原作とは
かなり異なったテイストに仕上がっている。
それでも、私が原作者だったら、この映画にはとても感謝したと思う。
それは、映画監督の視点を通すことで、
原作のテーマがよりはっきりと浮かびあがっているからだ。
映画では、ちょっとした小物をうまく効かせて、
松子という女が生きた時代をとてもはっきりと感じさせている。
そのことで、ただ人より少し真面目すぎ、一生懸命過ぎただけの松子が、
なぜあんなにも破滅的な方向に突っ走ってしまったのか
ということがとてもリアルに納得できる。
そして松子の死後、その人生を追うことになる甥(映画では瑛太が好演)が
生きている、万事ライトでお手軽な現代ニッポンとのギャップも
原作以上にくっきりと際立ってくる。
この際、文学的に正しい解釈なのかどうかということはあまり問題ではなくて、
原作に大胆に手を加えられていながらも、その変えられたことによって
監督が原作をどのように理解し、映画化することによって
原作の世界をどのように表現したいのかということが
しっかりと伝わってくるので、この映画は充分にアリだと思ったわけだ。
けれど本作の場合、そういう、監督ならではの視点が私には感じられなかった。
印象に残ったシーンを順番につなぎあわせたような構成で、
けれど原作を忠実になぞるわけでもなく、
かなり重要な部分でちょこちょこと手が加えられており、
にもかかわらず、なぜそう変えるべきだったのか、という
監督の意図が全く伝わってこない。
監督は、原作の、一体どういうところに魅かれたのだろうか・・・
映像は、確かに美しかった。
特に、ワタナベと直子が二人で草原を歩くシーンなど、
現代日本でこのような場所を見つけ出し、こんなにも美しく撮ってくれた
というだけで、もう充分じゃないか・・・と思えるほどで
映像美に拘るトラン監督の面目躍如といったところ。
このシーンには、こうでなければという監督の強い想いが感じられ、
だからこそ、あんなにも静謐でありながら凄みさえ感じさせる画になったのだと思う。
惜しむらくは、他のシーンまできれいでありすぎた点か。
物語の舞台となっている1960年代後半から、1970年代にかけての時代といえば、
日本が一番ギンギンと熱苦しかった時代だ。
猥雑で胡散臭く、むやみにエネルギッシュだったあの時代に青春を過ごすということは、
ワタナベのような内省的な青年にとっては随分大変なことだっただろう。
「やれやれ」と一人ごちながら、それでも人はその時代の中で生きていくしかない、
そのやるせなさのようなものが、画面から伝わってこないのだ。
きれいすぎて。
何だか小洒落ていて、問答無用の猛々しい粗暴さが全然ないのだもの。
監督の美意識が、自分の作品にそういう要素をいれることを拒んだのかもしれないが。
そして一番残念だったのは、緑とレイコさん。
この映画が松山ケンイチと菊地凛子主演で映画化されるときいたとき、私は
「あぁ、確かに! いい “緑” が見つかったなぁ。でも直子は?」
と思った。菊地凛子の出演作は 『バベル』 しか観たことがなく、
そこでの役柄がたまたま強烈に “生” を感じさせるものだったから
そのイメージにひっぱられた面がないではないけれど、
渾身の演技が賞候補になり、当時いろいろな番組で取り上げられたので、
インタビューなどで素のままの彼女に触れる機会も多かった。
怖ろしいほど強靭な人だ。
殺されても死なないタイプ(褒め言葉です)というか、
どうあっても “生” の側にいる人だと思った。
演技力もあるから、一見突飛な言動に見え隠れする
緑ならではのかわいらしさもきっと旨く表現してくれるに違いない。
楽しみだなぁ・・・
けど、よくよくきいてみたら、菊地凛子は直子だという。
違和感はあったが、ならば緑は誰が?とまた楽しみになった。
菊地凛子の直子と対等にやりあうには
相当の人じゃないと務まらないはずだ。
そんな緑が、今の日本にちゃんといるんだ・・・誰だろう?
結果的には、難航の末、クランクイン直前にモデルの女の子が緑役に決まった。
素人目に見ても、演技経験のない彼女にこの役はさすがに重すぎだろう。
そして何より決定的に間違っていたのは、
彼女には、緑の最大の魅力である強烈な生命力が全く感じられなかったことだ。
透明感のあるきれいな子ではあったけれど、
緑を演じるにはどうにも線が細すぎた(体型的な問題ではなく)。
だから私としては、やはり菊地凛子の緑が見たかったなぁ、と
まだ未練がましく思ったりもするのだが、
直子役は菊地凛子自身の熱烈な希望により実現したというだけあって、
直子は直子でとてもよく演じられていたと思う。
彼女自身が原作を読み込んで、自分なりの直子をきちんと作りあげていたし
演技を通して、その直子を私たちに感じさせてくれた。
すごい女優さんだなぁ、とひたすら感心。
それだけに、緑が気の毒だった。
レイコさんについては、もう、思い出すのがつらい・・・
原作で最も好感をもった人物と言ってもいいキャラクターだったので、
あんなに惨めなラストシーンは見たくなかった。
原作では、直子の自殺という
どうしようもなく辛い経験を共有したワタナベ君とレイコさんが、
それでもやはり、自分たちはこれからも生きていくのだという
強い思いを感じさせる、感動的で力に溢れたシーンなのに、
何だかひどくあわれで惨めったらしく、救いがたいほど淋しいシーンに変貌している。
レイコさんは、トラン監督にはこんなに情けない女にしか見えなかったのだろうか?
年増女なんだから仕方ない?
・・・って、彼女はまだ38歳ですぜ。勘弁してくださいよ・・・と言いたい。
とまぁ、こんなようなことを、昨日の夜中に友だちと散々喋ったのだった。
初めて読んだときから20年の歳月が経ち、
物語の冒頭に青春時代を回顧する37歳のワタナベ君の年齢さえ
私たちにとってはもう一昔前になってしまった。
原作が遠くなるのも、仕方のないことなのかもしれないねぇ・・・
と互いの電話口で深くうなづきあう。
でも、友だちと私の間で交わされる会話というのは
出会ってから30年経った今も、大して変わり映えしないわけで、
その意味では私たちはまだまだ青春を続けているのやもしれず。
「青春万歳!」「ピース」(爆)
P.S. 長電話の友もまた、本作について こちら で熱く語っております。
ぜひご一読を ♪
by immigrant-photo
| 2011-01-07 13:54
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