2010年 08月 15日
『日本水風景 松浦和夫写真集』 |
今日からちょっとだけ帰省します。
しつこく、しつこく水を撮り続けてきた私だから、
他の人が撮った水も、もちろん気になるのである。
何年か前の、やはり夏の帰省時、学生時代からの友人と大阪で待ち合わせた。
彼女とは、あれこれ話しながらゆっくりごはんを食べ、
座り疲れたらとろとろ歩いて大きな本屋に行く・・・というのがお決まりのコース。
この時も、硬軟何でもござれの読書家の彼女から
いろんな本の話を聞きながら、二人で書棚の間を歩き回っていたのだが、
雑誌のコーナーに差し掛かり、月刊の写真雑誌の表紙に
「特集 “水” を撮る」という文字を見つけて、思わず手に取ったのだった。
二人で覗き込む。
水の写真は、まぁ、大概とてもきれいだ。
カレンダーの写真みたいに、明快で非の打ち所がない。
その雑誌の特集ページにも、そういうきれいな写真がたくさん載っていた。
が、その中に時々妙にひっかかる写真が交ざっていた。
うまく言えないけれど、ただきれいなだけじゃない
底の方にやけに切実なもの、一種ヤバいもの、を感じる水・・・
そういう風に感じる水は、すべて同じ撮影者の作品だった。
一緒に見ていた友人も同じように感じたようで
これって何なんだろうねぇ、何か不思議だよねぇ、と言いながらページを繰った。
その後、また店内をぶらつくうちに写真集のコーナーに行き当たり
何となく眺めていて、この本に出会った。
水の写真集はこれまでにたくさん見てきた。
どれも撮影技術を駆使した力作の並ぶ、きれいな写真集だったけれど
まだ購入したことはない。
ふ~ん、これは初めて見るなぁ・・・とパラパラめくってみてすぐ
あっ、と思った。
もう一度雑誌コーナーに戻り、先ほど見た水特集のページを開いて
うろ覚えだった撮影者の名前を確かめる。
やはりそうか・・・
ヤバいと感じた水の撮影者が、この松浦和夫さんだった。
この人の撮った水を見ると、どうも心がざわざわするというか、ぎゅっとなるというか。
一見普通に美しい風景写真ではあるのだが、その美しさの底に
こちらのエモーショナルな部分に働きかけてくるものがある。
経験したことのない感覚だった。
それで私は、初めて水の写真集を買った。
ざわざわの正体はまだはっきりとはわからないけれど。
by immigrant-photo
| 2010-08-15 05:10
| 本