2010年 03月 13日
day hard #6 ― 南海加太線 ― |
漸くたどり着いたその駅は、とても小さくてひっそりしていた。
レールの上を歩いて渡って向かい側のホームに行く、昔ながらの駅。
私が子供の頃は、うちの近くの駅もこうだったなぁ・・・
いつから高架になったんだっけ?
そんなことを思ったのは、しかし、見舞いを済ませて
帰りの電車を待つ頃になってからだ。
この駅に降り立ったときは、さすがにかなり緊張していた。
田舎町の細い路地をくねくねと辿るうちにも、ますます緊張が高まる。
駅前の旧い街並みを通り抜けたら
いきなり開けて、道路の向こうに真新しい大きな病院が見えた。
着いてしまった・・・
そこを目指して、遠路はるばるやって来たにもかかわらず
やはり行くのが怖かった。
会ったときにショックを受けないように、と母は予め父の様子を
話してくれてはいたのだが、かなり悲惨なその状態を
頭の中でさらに3倍ぐらい悪い方に増幅して想像しておいたので
実際に、寝ている父を見たときにはむしろホッとした。
数日前にあれだけ大きな手術をして、この状態なら上等じゃないか。
日にちが経てば、少しずつでもきっとよくなってくれるだろう・・・
そう思うことができたので、病院を出たときには随分気持ちが軽くなった。
そんな私を見て母も少し安心したようだ。
帰らなくてはいけない時間まで、少しだけ余裕があったので
和歌山市駅まで戻って、母と一緒に遅い昼食をとった。
レールの上を歩いて渡って向かい側のホームに行く、昔ながらの駅。
私が子供の頃は、うちの近くの駅もこうだったなぁ・・・
いつから高架になったんだっけ?
そんなことを思ったのは、しかし、見舞いを済ませて
帰りの電車を待つ頃になってからだ。
この駅に降り立ったときは、さすがにかなり緊張していた。
田舎町の細い路地をくねくねと辿るうちにも、ますます緊張が高まる。
駅前の旧い街並みを通り抜けたら
いきなり開けて、道路の向こうに真新しい大きな病院が見えた。
着いてしまった・・・
そこを目指して、遠路はるばるやって来たにもかかわらず
やはり行くのが怖かった。
会ったときにショックを受けないように、と母は予め父の様子を
話してくれてはいたのだが、かなり悲惨なその状態を
頭の中でさらに3倍ぐらい悪い方に増幅して想像しておいたので
実際に、寝ている父を見たときにはむしろホッとした。
数日前にあれだけ大きな手術をして、この状態なら上等じゃないか。
日にちが経てば、少しずつでもきっとよくなってくれるだろう・・・
そう思うことができたので、病院を出たときには随分気持ちが軽くなった。
そんな私を見て母も少し安心したようだ。
帰らなくてはいけない時間まで、少しだけ余裕があったので
和歌山市駅まで戻って、母と一緒に遅い昼食をとった。
by immigrant-photo
| 2010-03-13 08:48
| wanderings