2009年 07月 19日
< ヘルシンキ・スクール写真展 風景とその内側 > < エア・バスコ展 > |
注) 作品の写真は、出版物およびWEBページからの転載です。

6月27日(土)~8月9日(日)
資生堂ギャラリー(東京銀座資生堂ビル B1F)
もう17、8年前のことになるが、フィンランドに行ったことがある。
サーリセルカという、ラップランド地方のリゾート地にオーロラを観に行くのが主目的で
ヘルシンキには往復の経由地的に2泊しただけだったが、
落ち着いた街並みが美しい、とても素敵なところだった。
肝心のオーロラは、残念ながら観ることができなかったけれど、
この旅を機に、私はフィンランドという国をいつも憧憬とともに思い浮かべるようになった。
森と湖の国
というキャッチコピーそのままの美しい自然はもちろんだが、
何というか非常に真っ当で、地に足が着いた、大人な国だとの印象が強かった。
スウェーデンとロシアという大国に両脇を挟まれ、常に両側から脅かされてきた歴史が
この国を大人にしたのかもしれないことを思うと、複雑な気持ちにもなってしまうけれど。
最近日本でもようやく、かわいらしい雑貨や「フィンランド・メソッド」と呼ばれる教育方法などで
注目を浴びるようになってきたが、そのフィンランドが、アートの世界でも躍進著しいという。
そのことを、たまたま手にした雑誌「 Photo GRAPHICA vol. 15 」(2009年夏号)で
初めて知ったのだが、掲載されている作品の写真はどれも自然でありながら斬新で、
続いて本文のヘルシンキ・スクールの紹介記事や作家インタビューなどを読むに付け、
実際に写真を見てみずにはいられない気分になった。
先ずは銀座の資生堂ギャラリーに向かう。
中央通りに面した立派な建物で1階はお洒落な洋菓子売り場になっている。
ギャラリーは地下1階。最初に目に入る階段のフローリング床のせいか、
真っ白な壁もどこかやわらかく感じられるような空間だ。
そこに、ゆったりした感じで、4人の女性作家の作品が展示されている。
ティーナ・イトコネン ( 1968~ ) は、ウルティマ・ツーレ(最北の地、遠い美知の国)
をテーマに、グリーンランドの氷河や、北極圏に住む先住民族を撮っている。
こっくりした深みのある落ち着いた色合いと、自然と密接に繋がって生きる人々の
時に厳しく、時にあたたかく力強い表情が印象的だった。
続くサンドラ・カンタネン ( 1974~ ) の作品は、殆ど絵画のようだ。
雑誌で写真を見たときには、プリントした写真の上にあとから加筆したものかと思ったが
それにしては、写真の部分と絵画的な部分とが
あまりに自然に、まるで流れるように繋がっているので不思議で仕方なかった。(下図)

会場でいくら写真に近づいて目を凝らしてみても、やはり繋ぎ目がない。
カタログの説明によると、これはプリントの際に二重に露光することで
絵画的効果を生む技法で、ひとつのネガを、1回目は固定して、
2回目はゆっくりずらしていくことによって
筆で加筆したようなタッチをだしているのだそうだ。
プリントに関する知識が皆無の私には技術的なことはさっぱりわからないけれど、
何かをつけくわえるというのではなく、元々の写真の持っているイメージと色とを
そのまま膨らませて、新しい、作家独自のイメージが生み出されていることに
とても感動した。
冒頭に載せたのは、スサンナ・マユリ ( 1978~ ) の作品。
まるで物語の一場面のように幻想的かつドラマチックで、
実際には背中しか見えていない人物の表情や感情までもが
写真全体から見えてくるかのようだ。
彼女の作品では、水が重要な意味をもっている。
マユリは、小説のようなストーリーを語るための舞台として「感情の磁場」である水を選び
そこに登場人物を配した作品を2002年から撮っている。
水面に漂う人物達はいずれも顔が見えず、浮いているようでもあり、溺れているようでもあり
危機感と隣り合わせであるがゆえの恍惚にたゆたっている。
アンニ・レッパラ ( 1981~ ) の作品には、少女、洒落た壁紙の部屋、ドールハウス
などが登場し、一見かわいらしいのだが、その背後に、どこか不安というか不気味というか
あまり穏当ではないようなものが隠れているような感じも強いのが印象的だった。
この感じ、どこかで・・・
と、引っかかったままでいたが、つい先程思い出した。
かつて大ヒットしたジャン=ピエール・ジュネ監督の映画「アメリ」だ。
まさに彗星のごとく現れた新人オドレイ・トトゥを一躍大スターにした作品だが、
決してお洒落でかわいく愛しいだけの映画ではない。
ジュネ監督の本分は、むしろ随所にちりばめられた暗くて醜いものや毒にある。
そして当時のトトゥには、そういう不穏当なものの存在をちゃんと隠し切れていないような
独特の危うさと、不思議な無邪気さ、それゆえの残酷さ等々が感じられた。
あの時の、あのトトゥがいなかったら、「アメリ」はなかったんじゃないかと思えるほどに。
その後これまで、トトゥが普通の美人女優になってしまっているのが
個人的に残念でならないのだが、それはさておき、
まだ若いレッパラには、今もっているものを大切にしながら、
ますます新しい独自の世界を切り拓いていってほしいなぁ、と思った。
資生堂ギャラリーの展示を堪能したあと、私は恵比寿に向かった。
東京都写真美術館には何度か行ったことがあるが、いつも時間に追われていて
直行直帰という感じなので、あまり馴染みのない界隈だ。
ヘルシンキ・スクール出身の作家エア・バスコ ( 1980~ ) の展示が、ここで開催中である。
6月25日(木)~7月26日(日)
G/P gallery(NADiff A/P/A/R/T 2F)

壮絶なまでに古い手前のアパートについつい目がいってしまうけれど、
その奥の、白いガラス張りの建物の方が目的地である。
入り口は向こう側に回りこんだところにある。
1階は写真に限らずアート全般の本が所狭しと並んだ書籍コーナー。
大いに気になるところだが、ぐっとこらえてその本の間を通り抜け、奥の螺旋階段を上る。
あがったところは・・・別の展示だったので、そこは通り抜けて奥の別室へ。
あった・・・が、思った以上に狭くてほんの数点展示されているだけだ。
雑誌で写真を見て実物を見るのをとても楽しみにしていただけに、ちょっと拍子抜けした。

仕方がないのでテーブルに置かれたポートフォリオをめくる。
何となく男性かな、と思っていたのだがこの作家も女性だった。
多摩美術大学に留学していたこともあるそうで、その時撮った夜景の作品群などもそうだが
光がとにかく美しい。
透明で、光の粒ひとつひとつが内側から輝いているような。
人工的な光を撮ったシャープで抽象的な作品なのに、やわらかさや温もりも感じる。
もっとたくさん、実際に見てみたかった。
この点数ではカタログはなさそうなので、せめて本でも出ていないかと
帰りに1階の書籍コーナーで訊いてみたけれど、
「ヘルシンキ・スクール」作品集的なものに何点か紹介されているだけだった。
この本には他にもたくさんの作家が紹介されていて、ゆっくり見てみたい気はしたのだが
5000円を超えていたので躊躇し、悩みながら店内を見てまわっているうちに
何と、以前作家の本山さんに見せてもらって以来すごく印象に残っていた
とてもうつくしい本を見つけてしまった。
タイトルは「月の光」。
星新一さんの小説と土屋仁応さんの彫刻とのコラボ作品だ。
星さんの美しくもはかない、ひどくかなしいようなでも限りなくしあわせなような物語が
土屋さんの作るやさしく寡黙な動物たちと見事に一つになって、
神聖ささえ感じるような世界が展開されている。
限定本だったので入手を諦めていたその本と、まさかここで会えるとは!
この本が私の手元にきてくれるなんて!と、こちらは即、購入を決断。
とりあえず「ヘルシンキ・スクール」の方は見合わせた。
でも、経験上、本ってやはり出会いが大切なんですよね。
今を逃したら、「ヘルシンキ・スクール」ももう二度と手には入らないかも・・・
そう思うと、そわそわしてしまう。
本のことはさておき、資生堂ギャラリーの方はとても好ましい展示だったので、
できればもう一度観に行ってみたいなぁ、と思っています。

6月27日(土)~8月9日(日)
資生堂ギャラリー(東京銀座資生堂ビル B1F)
もう17、8年前のことになるが、フィンランドに行ったことがある。
サーリセルカという、ラップランド地方のリゾート地にオーロラを観に行くのが主目的で
ヘルシンキには往復の経由地的に2泊しただけだったが、
落ち着いた街並みが美しい、とても素敵なところだった。
肝心のオーロラは、残念ながら観ることができなかったけれど、
この旅を機に、私はフィンランドという国をいつも憧憬とともに思い浮かべるようになった。
森と湖の国
というキャッチコピーそのままの美しい自然はもちろんだが、
何というか非常に真っ当で、地に足が着いた、大人な国だとの印象が強かった。
スウェーデンとロシアという大国に両脇を挟まれ、常に両側から脅かされてきた歴史が
この国を大人にしたのかもしれないことを思うと、複雑な気持ちにもなってしまうけれど。
最近日本でもようやく、かわいらしい雑貨や「フィンランド・メソッド」と呼ばれる教育方法などで
注目を浴びるようになってきたが、そのフィンランドが、アートの世界でも躍進著しいという。
そのことを、たまたま手にした雑誌「 Photo GRAPHICA vol. 15 」(2009年夏号)で
初めて知ったのだが、掲載されている作品の写真はどれも自然でありながら斬新で、
続いて本文のヘルシンキ・スクールの紹介記事や作家インタビューなどを読むに付け、
実際に写真を見てみずにはいられない気分になった。
先ずは銀座の資生堂ギャラリーに向かう。
中央通りに面した立派な建物で1階はお洒落な洋菓子売り場になっている。
ギャラリーは地下1階。最初に目に入る階段のフローリング床のせいか、
真っ白な壁もどこかやわらかく感じられるような空間だ。
そこに、ゆったりした感じで、4人の女性作家の作品が展示されている。
ティーナ・イトコネン ( 1968~ ) は、ウルティマ・ツーレ(最北の地、遠い美知の国)
をテーマに、グリーンランドの氷河や、北極圏に住む先住民族を撮っている。
こっくりした深みのある落ち着いた色合いと、自然と密接に繋がって生きる人々の
時に厳しく、時にあたたかく力強い表情が印象的だった。
続くサンドラ・カンタネン ( 1974~ ) の作品は、殆ど絵画のようだ。
雑誌で写真を見たときには、プリントした写真の上にあとから加筆したものかと思ったが
それにしては、写真の部分と絵画的な部分とが
あまりに自然に、まるで流れるように繋がっているので不思議で仕方なかった。(下図)

会場でいくら写真に近づいて目を凝らしてみても、やはり繋ぎ目がない。
カタログの説明によると、これはプリントの際に二重に露光することで
絵画的効果を生む技法で、ひとつのネガを、1回目は固定して、
2回目はゆっくりずらしていくことによって
筆で加筆したようなタッチをだしているのだそうだ。
プリントに関する知識が皆無の私には技術的なことはさっぱりわからないけれど、
何かをつけくわえるというのではなく、元々の写真の持っているイメージと色とを
そのまま膨らませて、新しい、作家独自のイメージが生み出されていることに
とても感動した。
冒頭に載せたのは、スサンナ・マユリ ( 1978~ ) の作品。
まるで物語の一場面のように幻想的かつドラマチックで、
実際には背中しか見えていない人物の表情や感情までもが
写真全体から見えてくるかのようだ。
彼女の作品では、水が重要な意味をもっている。
マユリは、小説のようなストーリーを語るための舞台として「感情の磁場」である水を選び
そこに登場人物を配した作品を2002年から撮っている。
水面に漂う人物達はいずれも顔が見えず、浮いているようでもあり、溺れているようでもあり
危機感と隣り合わせであるがゆえの恍惚にたゆたっている。
アンニ・レッパラ ( 1981~ ) の作品には、少女、洒落た壁紙の部屋、ドールハウス
などが登場し、一見かわいらしいのだが、その背後に、どこか不安というか不気味というか
あまり穏当ではないようなものが隠れているような感じも強いのが印象的だった。
この感じ、どこかで・・・
と、引っかかったままでいたが、つい先程思い出した。
かつて大ヒットしたジャン=ピエール・ジュネ監督の映画「アメリ」だ。
まさに彗星のごとく現れた新人オドレイ・トトゥを一躍大スターにした作品だが、
決してお洒落でかわいく愛しいだけの映画ではない。
ジュネ監督の本分は、むしろ随所にちりばめられた暗くて醜いものや毒にある。
そして当時のトトゥには、そういう不穏当なものの存在をちゃんと隠し切れていないような
独特の危うさと、不思議な無邪気さ、それゆえの残酷さ等々が感じられた。
あの時の、あのトトゥがいなかったら、「アメリ」はなかったんじゃないかと思えるほどに。
その後これまで、トトゥが普通の美人女優になってしまっているのが
個人的に残念でならないのだが、それはさておき、
まだ若いレッパラには、今もっているものを大切にしながら、
ますます新しい独自の世界を切り拓いていってほしいなぁ、と思った。
資生堂ギャラリーの展示を堪能したあと、私は恵比寿に向かった。
東京都写真美術館には何度か行ったことがあるが、いつも時間に追われていて
直行直帰という感じなので、あまり馴染みのない界隈だ。
ヘルシンキ・スクール出身の作家エア・バスコ ( 1980~ ) の展示が、ここで開催中である。
6月25日(木)~7月26日(日)
G/P gallery(NADiff A/P/A/R/T 2F)

壮絶なまでに古い手前のアパートについつい目がいってしまうけれど、
その奥の、白いガラス張りの建物の方が目的地である。
入り口は向こう側に回りこんだところにある。
1階は写真に限らずアート全般の本が所狭しと並んだ書籍コーナー。
大いに気になるところだが、ぐっとこらえてその本の間を通り抜け、奥の螺旋階段を上る。
あがったところは・・・別の展示だったので、そこは通り抜けて奥の別室へ。
あった・・・が、思った以上に狭くてほんの数点展示されているだけだ。
雑誌で写真を見て実物を見るのをとても楽しみにしていただけに、ちょっと拍子抜けした。

仕方がないのでテーブルに置かれたポートフォリオをめくる。
何となく男性かな、と思っていたのだがこの作家も女性だった。
多摩美術大学に留学していたこともあるそうで、その時撮った夜景の作品群などもそうだが
光がとにかく美しい。
透明で、光の粒ひとつひとつが内側から輝いているような。
人工的な光を撮ったシャープで抽象的な作品なのに、やわらかさや温もりも感じる。
もっとたくさん、実際に見てみたかった。
この点数ではカタログはなさそうなので、せめて本でも出ていないかと
帰りに1階の書籍コーナーで訊いてみたけれど、
「ヘルシンキ・スクール」作品集的なものに何点か紹介されているだけだった。
この本には他にもたくさんの作家が紹介されていて、ゆっくり見てみたい気はしたのだが
5000円を超えていたので躊躇し、悩みながら店内を見てまわっているうちに
何と、以前作家の本山さんに見せてもらって以来すごく印象に残っていた
とてもうつくしい本を見つけてしまった。
タイトルは「月の光」。
星新一さんの小説と土屋仁応さんの彫刻とのコラボ作品だ。
星さんの美しくもはかない、ひどくかなしいようなでも限りなくしあわせなような物語が
土屋さんの作るやさしく寡黙な動物たちと見事に一つになって、
神聖ささえ感じるような世界が展開されている。
限定本だったので入手を諦めていたその本と、まさかここで会えるとは!
この本が私の手元にきてくれるなんて!と、こちらは即、購入を決断。
とりあえず「ヘルシンキ・スクール」の方は見合わせた。
でも、経験上、本ってやはり出会いが大切なんですよね。
今を逃したら、「ヘルシンキ・スクール」ももう二度と手には入らないかも・・・
そう思うと、そわそわしてしまう。
本のことはさておき、資生堂ギャラリーの方はとても好ましい展示だったので、
できればもう一度観に行ってみたいなぁ、と思っています。
by immigrant-photo
| 2009-07-19 00:53
| 美術展