2009年 06月 26日
経験の歌 #3 |
うちに来た時点では、子猫たちの目はまだ開いていなかった。
両目ともつぶったままの仔もいた。
数日経ってようやくみんなの目が開き、かわいらしい顔が並んで喜んだのもつかの間、
私たちはその後、思ってもみなかった壮絶な光景を目にすることになる。
原因はこのツメである。

初めのころはツメをしまえない。
その状態で、こんなこと↓をする。しかも、まだ加減というものを知らない。


子猫たちの顔は、あっという間に酷い状態になってしまった。
目の周辺は傷だらけで、せっかく開いた目もまたくっついてしまったり、
まぶたが裏返ったみたいになっていたり、時には真っ赤になっていたりした。
それでも、人の目で見るときには無意識のうちにフィルターをかけているのだろう。
写真を撮るとその顔は一層悲惨で、まるでむごたらしい虐待でも受けたかのようだ。
ピントがばっちり合ってしまったときの画像を見るのが怖くて、
一眼レフではとても撮れなくなってしまった。
特に、たった1匹のメスと、一番小柄なオス。 この2匹の目がひどかった。
外見上は両目とも完全に塞がってしまっていて、二度と開くことがなさそうに見えた。
それでも完全に見えていないわけではないらしく、うろうろ歩き回るのだが
やはり他の2匹に比べると動きがよたよたしている。
元気な2匹は、おっぱいを飲むときも強引に割り込んでいくので
目の悪い2匹はどうしてもはじかれがちだ。
きょうだいの中で勝ち組と負け組ができてきてしまった・・・
と思ってショックだったし、それ以上に、目の状態が心配だった。
このまま失明しちゃったり、しないのだろうか?
パソコンから 「子猫 目の病気」 などで検索すると、子猫がじゃれあってできた傷に起因する
目の病気についてだけでも随分いろいろ病名が書いてあったが
要するにどれも、医者に見せて適切な処置をしないと失明や慢性鼻炎の恐れがある、という。
そうならないためにツメを切ってやるとよい、とか。
失明!あぁどうしよう・・・と思う一方で、でも、もしそれが本当だったら
猫はきょうだいがいるのが普通だし、じゃれあって育つのが普通なのだから
殆どの猫は失明しているはずじゃないか?と疑問にも思った。
ここは少し落ち着いて考えてみる必要がありそうだ。
それに、実際問題として子猫を動物病院に連れて行くのは
極めて困難な状況になってもいた。
子猫がおぼつかない足取りで動き回り始めたからか、
母猫が殆ど小屋から出て行かなくなったからだ。出て行っても、トイレだけ済ませてすぐ戻る、
という感じなので、母猫の留守中に子猫を連れ出すのは難しそうだ。
そそくさと小屋に戻ってきては一心に子猫の顔をなめてやっている母猫の姿を見て
ここは人間の出る幕じゃない、
おせっかいはやめてお母さんに任せよう、という気持ちになった。
そう決心したあとも、子猫たちのあまりに凄絶な形相に心は何度も揺らいだ。
そうこうするうちに比較的マシだった2匹の目もそれぞれにひどいことになり
私の判断は間違っていたのかと後悔したりもした。
人間は、なるべく迅速にそして正確な判断をし、てきぱきと対処して、早く安心したい。
そういう内なる性急さと闘うのは結構しんどいものである。
上に書いたように「勝ち組」「負け組」なんて分類し、
そこからさっさと「生存競争の厳しさ」という結論を出したくなるのも、そう。
じっくり見ていれば、目をひどく痛めてしまったとはいえ、特にその2匹がいじめられている
というわけでもなく、母猫もその2匹を特別優遇してやったりこそしないけれど
ごく当たり前に、平等にかわいがってやっているらしいのがわかる。
猫たちの時間はあくまで淡々と変わりなく流れ、
ものすごい形相のまま、それでも子猫たちは驚くべきスピードで日々成長していった。
私はもう余計な判断などせず、ただ猫たちの日常をじっと見ていることにした。
目の状態は一進一退という感じで、もうちょっとで完全にきれいになりそうだなぁ、と
思っていたら、次に見たときにはまた試合終了後のボクサーみたいになっていたり。
しかし、じゃれ方は明らかに以前とは変わった。
上の写真の頃に比べれば随分体が大きくなり、力も強くなっているはずなのに
手の出し方や噛み付き方はずっとやわらかで、きちんとコントロールしているのがわかる。
最近人間とも遊びたがるので、ひっくり返しておなかをごにょごにょしてやったりもするのだが
それでふがふが言いながら甘噛みされたりネコキックされたりしても、私の手は傷つかない。
文字通り “痛い目” にあって加減というものを体で覚えたのだ。
この変化にはとても感動した。
と同時に、体で覚えるというのは本当に生半可なことじゃないのだなぁ、と。
何度も傷つき、実際に痛い思いをしながら、それを繰り返すことで
他の個体との距離のとり方や関わり方の加減が少しずつわかっていく・・・
母猫はただ、傷だらけの我が子を丹念になめてやるだけだ。
ただ、それだけ。
けれどその “それだけ” が、人間には案外むずかしかったりする。

両目ともつぶったままの仔もいた。
数日経ってようやくみんなの目が開き、かわいらしい顔が並んで喜んだのもつかの間、
私たちはその後、思ってもみなかった壮絶な光景を目にすることになる。
原因はこのツメである。

初めのころはツメをしまえない。
その状態で、こんなこと↓をする。しかも、まだ加減というものを知らない。


子猫たちの顔は、あっという間に酷い状態になってしまった。
目の周辺は傷だらけで、せっかく開いた目もまたくっついてしまったり、
まぶたが裏返ったみたいになっていたり、時には真っ赤になっていたりした。
それでも、人の目で見るときには無意識のうちにフィルターをかけているのだろう。
写真を撮るとその顔は一層悲惨で、まるでむごたらしい虐待でも受けたかのようだ。
ピントがばっちり合ってしまったときの画像を見るのが怖くて、
一眼レフではとても撮れなくなってしまった。
特に、たった1匹のメスと、一番小柄なオス。 この2匹の目がひどかった。
外見上は両目とも完全に塞がってしまっていて、二度と開くことがなさそうに見えた。
それでも完全に見えていないわけではないらしく、うろうろ歩き回るのだが
やはり他の2匹に比べると動きがよたよたしている。
元気な2匹は、おっぱいを飲むときも強引に割り込んでいくので
目の悪い2匹はどうしてもはじかれがちだ。
きょうだいの中で勝ち組と負け組ができてきてしまった・・・
と思ってショックだったし、それ以上に、目の状態が心配だった。
このまま失明しちゃったり、しないのだろうか?
パソコンから 「子猫 目の病気」 などで検索すると、子猫がじゃれあってできた傷に起因する
目の病気についてだけでも随分いろいろ病名が書いてあったが
要するにどれも、医者に見せて適切な処置をしないと失明や慢性鼻炎の恐れがある、という。
そうならないためにツメを切ってやるとよい、とか。
失明!あぁどうしよう・・・と思う一方で、でも、もしそれが本当だったら
猫はきょうだいがいるのが普通だし、じゃれあって育つのが普通なのだから
殆どの猫は失明しているはずじゃないか?と疑問にも思った。
ここは少し落ち着いて考えてみる必要がありそうだ。
それに、実際問題として子猫を動物病院に連れて行くのは
極めて困難な状況になってもいた。
子猫がおぼつかない足取りで動き回り始めたからか、
母猫が殆ど小屋から出て行かなくなったからだ。出て行っても、トイレだけ済ませてすぐ戻る、
という感じなので、母猫の留守中に子猫を連れ出すのは難しそうだ。
そそくさと小屋に戻ってきては一心に子猫の顔をなめてやっている母猫の姿を見て
ここは人間の出る幕じゃない、
おせっかいはやめてお母さんに任せよう、という気持ちになった。
そう決心したあとも、子猫たちのあまりに凄絶な形相に心は何度も揺らいだ。
そうこうするうちに比較的マシだった2匹の目もそれぞれにひどいことになり
私の判断は間違っていたのかと後悔したりもした。
人間は、なるべく迅速にそして正確な判断をし、てきぱきと対処して、早く安心したい。
そういう内なる性急さと闘うのは結構しんどいものである。
上に書いたように「勝ち組」「負け組」なんて分類し、
そこからさっさと「生存競争の厳しさ」という結論を出したくなるのも、そう。
じっくり見ていれば、目をひどく痛めてしまったとはいえ、特にその2匹がいじめられている
というわけでもなく、母猫もその2匹を特別優遇してやったりこそしないけれど
ごく当たり前に、平等にかわいがってやっているらしいのがわかる。
猫たちの時間はあくまで淡々と変わりなく流れ、
ものすごい形相のまま、それでも子猫たちは驚くべきスピードで日々成長していった。
私はもう余計な判断などせず、ただ猫たちの日常をじっと見ていることにした。
目の状態は一進一退という感じで、もうちょっとで完全にきれいになりそうだなぁ、と
思っていたら、次に見たときにはまた試合終了後のボクサーみたいになっていたり。
しかし、じゃれ方は明らかに以前とは変わった。
上の写真の頃に比べれば随分体が大きくなり、力も強くなっているはずなのに
手の出し方や噛み付き方はずっとやわらかで、きちんとコントロールしているのがわかる。
最近人間とも遊びたがるので、ひっくり返しておなかをごにょごにょしてやったりもするのだが
それでふがふが言いながら甘噛みされたりネコキックされたりしても、私の手は傷つかない。
文字通り “痛い目” にあって加減というものを体で覚えたのだ。
この変化にはとても感動した。
と同時に、体で覚えるというのは本当に生半可なことじゃないのだなぁ、と。
何度も傷つき、実際に痛い思いをしながら、それを繰り返すことで
他の個体との距離のとり方や関わり方の加減が少しずつわかっていく・・・
母猫はただ、傷だらけの我が子を丹念になめてやるだけだ。
ただ、それだけ。
けれどその “それだけ” が、人間には案外むずかしかったりする。

by immigrant-photo
| 2009-06-26 07:23
| thinking