2009年 06月 24日
経験の歌 #1 |
以前、ウィリアム・ブレイクという詩人の「無垢の歌」について書いた(こちら)けれども、
その「無垢の歌」から5年後、ブレイクは「経験の歌」という本を出した。
その際、この2冊は対になるものとして合本化されている。
「無垢の歌」が本質的な善の姿、穢れなく美しい世界を描いたものであったのに対し、
「経験の歌」では、「堕落した世界の陰鬱と、都市生活の悲哀を告発している。」
(志村ふくみ「語りかける花」による)
ここでブレイクの思想について詳しく掘り下げるつもりはないし、
そもそもそれに足る知識を私は持っていないのだが、
母猫の無私の愛に溢れた子育ての様子に感動しながら、
そして日々著しいスピードで成長していく子猫たちに心奪われながら、
人間である私は、この世界で歌われるのが「無垢の歌」だけではないことを改めて痛感する。
更には、無垢であることのうちに含まれる厳しさにも直面してうろたえる。
そんなこんなで苦しくなって、猫のことを本ブログに書き続けることができなくなってしまった。
それで、猫シリーズは一旦おやすみすることにしたのだ。
それから丁度20日・・・
ここに書いていない間にももちろんいろいろなことがあって、
私の困惑はむしろますます深まった。
だからもう猫シリーズはこのままやめてしまおうか、とも思ったのだが
このしんどさの中から私が得ているものも多いような気がするので
全然すっきりしないままに、とりあえず猫シリーズを再開することにした。
ただし、ここからのシリーズは以前のように無邪気に「キャ~、かわいい♪」と
楽しんでいただけるものばかりではなくなると思う。
うちの庭に住んではいるけれど、この猫一家は私たちのペットではない。
それを前提にした私の、猫たちとの関わり方やその結果起こっていることに
疑問を感じられる方もいらっしゃるかもしれない。
ひょっとしたら、私のしていることは間違っているかもしれない。
そんな気持ちも混じりながらのシリーズ再開であることを、予めお断りしておきます。

「エサをあげないことがハトへの愛情です・・・」
この愛情は、はたしてどちらの “愛” によるものなのか。
思わせぶりな最後の 「・・・」 にごまかされずに、
わかったような気になっちゃわないで、
それぞれがきちんと考えなくてはいけないと思う。
その「無垢の歌」から5年後、ブレイクは「経験の歌」という本を出した。
その際、この2冊は対になるものとして合本化されている。
「無垢の歌」が本質的な善の姿、穢れなく美しい世界を描いたものであったのに対し、
「経験の歌」では、「堕落した世界の陰鬱と、都市生活の悲哀を告発している。」
(志村ふくみ「語りかける花」による)
ここでブレイクの思想について詳しく掘り下げるつもりはないし、
そもそもそれに足る知識を私は持っていないのだが、
母猫の無私の愛に溢れた子育ての様子に感動しながら、
そして日々著しいスピードで成長していく子猫たちに心奪われながら、
人間である私は、この世界で歌われるのが「無垢の歌」だけではないことを改めて痛感する。
更には、無垢であることのうちに含まれる厳しさにも直面してうろたえる。
そんなこんなで苦しくなって、猫のことを本ブログに書き続けることができなくなってしまった。
それで、猫シリーズは一旦おやすみすることにしたのだ。
それから丁度20日・・・
ここに書いていない間にももちろんいろいろなことがあって、
私の困惑はむしろますます深まった。
だからもう猫シリーズはこのままやめてしまおうか、とも思ったのだが
このしんどさの中から私が得ているものも多いような気がするので
全然すっきりしないままに、とりあえず猫シリーズを再開することにした。
ただし、ここからのシリーズは以前のように無邪気に「キャ~、かわいい♪」と
楽しんでいただけるものばかりではなくなると思う。
うちの庭に住んではいるけれど、この猫一家は私たちのペットではない。
それを前提にした私の、猫たちとの関わり方やその結果起こっていることに
疑問を感じられる方もいらっしゃるかもしれない。
ひょっとしたら、私のしていることは間違っているかもしれない。
そんな気持ちも混じりながらのシリーズ再開であることを、予めお断りしておきます。
土くれと石ころ(ウィリアム・ブレイク「経験の歌」)
愛は自分の楽しみを求めない
愛は自分への気遣いはしない
それは他の人に安らぎをもたらし
地獄の絶望の上に天国を建てようとする
ちっぽけな土くれがそう歌った
牛たちの足に踏みつけられながら
でも小川を流れる小石は
土くれとの出会いを避けた
愛は自分自身を楽しませるためのもの
自分の快楽のために他の人はある
他人の不安の中にも喜びはある
そして天国にも地獄を作って憚らない

「エサをあげないことがハトへの愛情です・・・」
この愛情は、はたしてどちらの “愛” によるものなのか。
思わせぶりな最後の 「・・・」 にごまかされずに、
わかったような気になっちゃわないで、
それぞれがきちんと考えなくてはいけないと思う。
by immigrant-photo
| 2009-06-24 06:06
| wanderings

