2009年 04月 27日
内藤礼をめぐる妄想 |
「内藤礼」という名前は、1年ぐらい前に雑誌で見て初めて知った。
日本のアートスポット特集で、瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島が紹介されていて、
そこにある作品のひとつ、古民家を用いた「このことを」という作品の作者が内藤さんだった。
「このことを」は、とても神聖な感じのする、
けれどもその神聖さが遥かな高みにあるのではなくて私たちにとても近しい、
一種の懐かしささえ感じるような静けさに満ちた作品だった。
私は、いつか直島を訪れて、実際にこの空間に身を置いてみたいと思った。
とはいえ、それはあくまで不確かな「いつか」への憧れに過ぎず、日々の慌ただしさの中で、
内藤さんの名前はいつしか頭の片隅に追いやられてしまっていた。
ところが最近になって、別のことで調べ物をしていて、再び「内藤礼」に行き当たった。
これは何やらご縁があるようだ・・・と、勝手に思い込む。
それで改めて内藤さんのことを調べてみたのである。
実は内藤さんは、若い頃から世界で活躍されている有名な方で
今になってざわざわ心を動かされている私は、要するに勉強不足だったのだ。
内藤さんの作品は、極めて繊細で儚いもので構成されていて、
その多くは、展示期間の終了とともにこの世界から消えてしまう。
鑑賞方法も独特で、白い布などで囲われた空間に一人ずつ入って、
たった一人で作品と向き合うスタイルをとることが多い。
展示期間中、内藤さんはその囲いの傍らに控えていて、
定期的に中に入ってメンテナンスをする。
うつろいやすいものを、それでも本来あるべき位置に留めておくために力を尽くす。
外界から隔てられ、光までが完全にコントロールされたその完璧な空間で
鑑賞者はただ一人で作品の声を聞く。
それはさらに自分と向き合い、自分自身の声を聞く場ともなる。
内藤礼は、そういう魔法のような “場” を生み出すことのできるアーティストであるらしい。
その内藤さんにとって、直島の「このことを」は、実は大きな転換となる作品だったという。
この作品は内藤さん初のパーマネント作品、つまり、いつまでもなくならずに
その場所に在り続ける作品である。
ここでもやはり鑑賞者は一人ずつ中に入るのだが、会期が限られていないので
内藤さん自身がずっとそこに滞在して手入れをし続ける、というのは不可能だ。
どうしても他人にゆだねなくてはならない部分が出てくる。
そういう現実的な面だけでなく、そもそもこの作品は、その誕生の過程から
「どれだけ受け容れることができるか」を作家に要求するものであったそうだ。
結果、囲われながらも外の気配の感じられる作品となった。
囲い込むことでこれまでは排除してきた外界を、
この作品では囲うことでむしろ受け入れようとしている。
自分では制御できないものをも積極的に取り入れていくこと。
一見隔てられているかのような内と外とが互いに受け容れあい、
別々に流れていた時間がしだいに溶け合っていくこと。
離れていながらどこかで繋がっているという感覚。
私はおそらく、そこに一番魅かれている。
そういう意味ではいい時期に内藤さんにめぐり合ったのかもしれないな、と思う。
実際に体験したわけではないけれど、かつてのような完璧すぎる空間の中では、
私は緊張してしまって、作品と向き合うどころではなかっただろう。
自分のちょっとした動きが、繊細すぎる何かを壊してしまって
この完璧に整えられた世界を台無しにしてしまうんじゃないかと
それが怖くて身じろぎもできずにいただろう。
息を凝らして、とにかく何も変えることのないように、と
そのことだけに必死になってしまっただろう。
内藤さんの言葉を借りれば「フラジャイルなものは、人を傷つける」側面をもつ。
「このことを」には、下のスリットから外の光が差し込み、風が抜けて、
往来の物音や人の声が聞こえる。
囲われながらも、あるいは囲われているからこそ一層
人の心は外に向かう。
自分がいる、ことではなく、他者がいる、ことの幸福。
若い日、自分の精神の居場所をつくりたいという欲求から生まれたという内藤礼の世界が
今はその自分を超えたところへと拡がろうとしている・・・
* * *
ネットで得た情報やら、雑誌の記事やらを読んでこんなことを思い、一人で興奮していたら、
今度はその内藤さんの個展が銀座であるという情報に行き当たった。
何というグッドタイミング。
やはりご縁があったのだとの妄想をさらにたくましくした私は、
いよいよ内藤作品と直接対面すべく、銀座へと向かったのだった。
by immigrant-photo
| 2009-04-27 06:16
| thinking