2009年 01月 01日
2009年の初めに・・・ |

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
* * *
少し前から、鷲田清一 『「待つ」ということ』 という本を読んでいる。
以前、この本の著者である鷲田さんと、政治学者の苅部 直さんとの対談について
このブログで取り上げたことがあるが(その時の記事はこちら)、
それ以来ずっと、この本が気になっていた。
待たなくてよい社会になった。
待つことができない社会になった。
というまえがきから始まるこの本は、意のままにならないもの、どうしようもないもの、
じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をいつの間にかなくし始めた
私たちの実態を検証しながら、「待つ」ことの意味を問うものである。
まだ途中だしなかなか進まないけれど、すごくおもしろい。
・・・・・・とか言いながら、
残念ながら私には、この本に書かれていることがすんなりとは理解できない。
それでももっと読みたい、少しでも近づきたい、と思わせてくれる。
これはすごいことだ。
ジャンルとしてはいわゆる哲学書に入る本だが、
ことば自体は決して難解ではなくむしろ日常的で平易である。
ただ介護現場から文学作品まで話題が広範囲にわたるうえ、表現もかなり文学的で、
具体的な実例から抽象的な思考へと独特の跳び方をするところがあったりもするので、
私はそこで跳びそこなって置いていかれるわけだ。それも、度々。
普通ならとっくに投げ出しているところだが
この本の場合、そこで置き去りにされることがそれほど嫌じゃない。
しばらく落っこちたままでいることが許されているような、一種の安心感があるのだ。
落っこちたり、迷ったり、寄り道したり・・・
文章によって自分の思考がダイナミックに作用される快感を
こんなにも感じさせてくれる本は珍しい。
元々、写真とは別の興味から読み始めたのだが、
丁度この本を読み始めた頃に、私は初めてビデオカメラというものを触った。
そして大切な場面で大失敗した。
その失敗について考えているうちに、
写真にとって 「待つ」 ということがどれ程大きなウエイトを占めているかということを
今さらのように痛感した。
写真に記録される一瞬の前には、カメラを構えて待っている時間が必ずある。
そのとき私は何を待っているのか。
「待つ」 というのは、実のところどういうことなのか。
この本を足がかりにしてもっとちゃんと考えてみたいと思う。
これが先ず、とても私的な当面の目標。
写真について言えば、昨年得た多くの出会いとさまざまな体験とを通して
改めて技術的な向上の必要を感じたので、更に勉強を重ねていきたい。
そして写真によって得られたこの新たなご縁を、
いい写真を撮ることで、もっともっと深めていきたいと思う。
昨年は本当に、他の方々から教えていただいたり与えていただたりするばかりだったので
今年はまたひとつひとつ経験を重ねながら、
写真で私に何ができるのか、どこまでできるのか、を探っていくつもり。
そして写真を通して、少しずつでも皆様にご恩返しができればいいな、と思っている。
何しろやりたいこと、やるべきこと、やらねばならないこと、等々いろいろあって
今年も忙しくも楽しい1年になりそうです。
ドキドキワクワクしながら、新しい年のはじまりはじまり・・・・・・
by immigrant-photo
| 2009-01-01 00:07
| will