2008年 08月 07日
蒼き眠りより・・・ |
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by immigrant-photo
| 2008-08-07 02:09
| 写真
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2008年 08月 06日
最近、ろくに新聞も読まない日が続いていたのだけれど 久しぶりに目を通した朝日新聞(8月4日付)に載っていた対談は興味深い内容だった。 対談しているのは鷲田清一さんという哲学・倫理学の学者と、 日本政治思想史が専門の苅部直さん。 と、肩書きを見てしまうといかにも私とは無縁の世界の方々なのだが “「わかりやすく」の危うさは” というテーマに惹かれた。 一般に、「わかりやすい」というのはいいこととされている。 にも拘らず、どうもなぁ・・・という気が、最近とみにしていたのだった。 その何とも嫌な感じの正体を、自分なりにさぐる手がかりがつかめた気がする対談だった。 鷲田さんによると「わかる」とか「わかりやすさ」には2種類あるという。 一つは、ふだん漠然と思っていることや、もやもやと考えていたことを、 他人が別の言葉でポンと言ってくれ、認めてくれるような感じがすること。 そしてもう一つは、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる。 一から組み替えないといけない、と突きつけられるようなこと。 そして、どちらの「わかる」にも、一抹の危うさが含まれているのだ、と。 前者では微妙なニュアンスや複雑さは敢えて切り落とされる。 強引な単純化によりインパクトは強まるが、 そういう言葉が受けるということに、鷲田さんは 「何か人々の深いいらだちや暴力性の澱」を感じるという。 ならば、後者の「わかる」ならよいかというと、これも幼稚さや性急さを感じさせ 一歩間違うとカルトにもつながる方向性を持っている、と。 今は、例えばエコの問題や禁煙運動などのように、 一旦言われてしまうと反対しにくい思想が並列でたくさん存在している。 理屈の上では、絶対に正論に軍配が上がるのだ。 だが、世の中はそんなに単純ではない。 人それぞれに価値観や損得勘定が異なるからだ。 その様々な人々が、それでも何とか共存していくための討論や調整には、 本来相当な時間がかかるはずなのだ。 安易な「わかりやすさ」に因ることは、その手間と時間とを省略し、 結論を急ぐあまり問題設定そのものや答えを歪ませる危険性をもっている。 いかに早く結果を出すか、に追われないようにしたい。 対談の最後の部分に特に感銘を受けたので、以下に引用させていただく。 鷲田 僕はよく「思考には溜めがいるんですよ」って言うんですが、ある人に 「じゃあ溜めをつくるにはどうしたらいいのか」と聞かれました(笑い)。 苅部 「実用」志向ですね。 鷲田 「溜めをつくろう」というのは、そういう問い方はやめましょうということなんです。 でも、わからないことに耐えられない。 すべてが説明できるとは限らない という苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということも あるんです。 わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。 僕らが生きている時代って「時を駆る」でしょ。 あらかじめやっておくとか、 先を読むとか。 先に先に、という思考法です。 でも、答えを急いで出さず、 問いを最後まで引き受ける。 じっくり考えたり、寝かせたり。 すぐにわかろうと しないで、機が熟すのをじっと待つ。 それも大切じゃないでしょうか。 今度はぜひ、鷲田さんご自身の著書にも挑戦してみたいと思う。 ちゃんと「わかる」には、それこそ相当時間がかかるだろうけれど、この著者なら それでも許してくださるだろう。 #
by immigrant-photo
| 2008-08-06 06:02
| thinking
2008年 08月 04日
子どもの頃、世の中はこわいものに満ちていた。 かくれんぼのことを思い出す。 低学年の頃よく遊びに行っていた男の子のうちの向かいに 半分打ち捨てられたような倉庫があった。 一応、閂的なものが掛かっていた気はするのだがどうやらそれが完全ではなく、 うまい具合に、丁度子どもが通り抜けたくなるぐらいの隙間が開くのだった。 窓は高いところに一つ(だったように思う)あるだけなので、中はかなり暗い。 今から思えば農業資材などを置く場所だったのだろうか。 隅のほうに肥料だか農薬だかが入っていそうな大きな紙袋が積んであったり、 そこらじゅうに藁くずのようなものが散らばっていたりしていた。 長い木が何本も壁に立て掛けてあって、その裏側がまた一際暗い。 絶好の隠れ場所ではあるが、そこに隠れるには 「鬼」以外のものに見つかる恐怖に耐えなくてはいけない。 闇の中でいくら目を凝らしてみても パーにして目の前にかざしているはずの自分の手が見えなくて 何とも言えず不安になった覚えがある。 今や絶滅危惧種とも言える「いじめっ子」も、あの頃は猛威を振るっていた。 新品の靴を履いているのが見つかったりすると、もういけない。 帰り道に待ち伏せされ、犬のウンコ(ここはもうウンチなんてかわいいものではなく、 絶対この言葉でないといけない)を踏むまで通してもらえないのだ。 運の悪いことに、そういう時に限ってまたおあつらえ向きの立派なのが 落ちていたりするものだ。 結局踏んだのかどうかは忘れてしまったけれど、 その時の靴の模様はもちろん手触りまでリアルに覚えていることを思うと 余程ショックだったのだろう。 子どもの頃から人並み以上にぼんやりしていて、 決していわゆる “感受性の強い子” ではなかった私でさえこうである。 いろいろ感じすぎてしまう子どもにとっては、 世界は大人が能天気に子供たちに信じさせようとするほど明るく希望に満ちたものではなく、 むしろ隙あらば自分に襲いかかろうとしている恐ろしい生き物のように、 生々しい恐怖を感じさせる場なのではないだろうか。 ノルウェイの作家によって書かれたこの二つの物語の主人公 8歳の男の子であるヨアキムは まさに典型的な “感受性の強い子” である。 彼にとってはアパートの階段のシミも魔界の入り口であり 住人はみんな魔女や神様で・・・それに時々殺人犯まで隠れていたりする! こういうことを吹き込むのは年長で力もとびきり強い女の子サーラである。 サーラのせいで、ヨアキムはしょっちゅうおしっこをちびってしまいそうな 怖い思いをさせられているし、これまたしょっちゅうぶたれる。 しかし一方でサーラはやたらに面倒見がよくて ヨアキムが他の子にいじめられたりしたら 相手をコテンパンにやっつけてくれたりもするのである。 サーラを始め、その弟ローゲルやクラスメイトのトーラとユーリ、 それにちょっと不思議な雰囲気の女の子マイブリッドなど それぞれに個性的な面々に囲まれて 弱虫ヨアキムは毎日ドキドキ、ハラハラ、ビクビク、ワクワク、ウツウツ しっぱなしで心の休まる時がない。 にもかかわらず、状況はさらに過酷なのだ。 ヨアキムのうちには、世話の焼けるパパがいる。 学校の先生になりたいと言って、代わりにママに働いてもらって勉強し、 晴れて先生になったというのに、初日から自信喪失で登校拒否になってしまった。 パパの仕事が軌道に乗ったら次は自分が勉強して 保母さんになる夢を実現したい! と楽しみにしていたママは大いに当てが外れ 治療にさえ乗り気でないパパに、次第にイライラをつのらせていく。 両親の不和をひしひしと感じながらも、 子どもなりに何とかパパを立ち直らせようと健気にがんばるヨアキム・・・ ヨアキムはボス的な強さをもった子ではない。 力関係でいうなら、最下位に近い位置にいるだろう。 でも、弱いものは弱いなりに 子どもらしい柔軟さとしたたかさとで、困難な日々を生き抜いている。 ヨアキムの懸命の努力にも拘らず、家の中の事態は好転しないし 街に出れば近所の子供たちが、 相変わらずケンカしたりいじわるしたり悪さをしたり・・・している。 いいことなんかあまりない。 でも、そんな中で、というかそんな中だからこそ、 ヨアキムは自分で一生懸命考え、行動し、少しずつ成長していく。 とともに、周りの大人や子どもたちもやはり変わっていく。 その変化のささやかさや、成長の歩みの遅さと着実さとが たまらなく愛しいこの連作。 ふと思い立って久しぶりに読み返したが 毎日がいっぱいいっぱいだった遥かな日々を思い出し ちょっとすっぱいような懐かしさが胸に迫ってあたたかい名作だと思う。 #
by immigrant-photo
| 2008-08-04 00:42
| 本
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