2008年 09月 03日
憧れ |
りっしんべんに童(わらべ)・・・つまり子どものこころ、と書いて「あこがれ」と読む。
辞書で調べてみたら、「憧れ」というのは本来、あるべきところから離れるの意、とあった。
とすると、あまりいいことではないのかな?
ちょっと意外な気がして、今度は「童」の方を調べてみたら、これはもっとびっくりで
目の上にいれずみをした奴隷を表す文字だそうだ。
う~む・・・・・・・・・ それがなぜ “子ども” に???
なかなか意味深である。
ただしこの「童」、音を表すものとして、別の字の一部になっている場合は
またそれぞれ別の意味をもつようで
「憧」の場合なら、ばたばたするという意味だとか。
つまりは、心がばたばたして落ち着かないということか。
というわけで、よくよく調べてみるとどうやら違うらしいのだが
「憧れ」というのは、子どもの心に通じるものがあるのかなぁ、などと思って
今日のタイトルにしたのだった。
子どものような、というと4年前の夏、この写真を撮ったときのことを思い出す。
ギンヤンマの羽化。
ギンヤンマは子どもの頃から好きだったのだが、なぜか一度も本物を見たことがなく
それだけに一層憧れの気持ちがつのった。
それが、今住んでいるあたりには結構いるのだ。
本物を見てもやっぱりかっこいい・・・ちょっとでいいから触ってみたい。
しかし「我が辞書に “とまる” という言葉など存在せず」とでも言わんばかりに
悠然と空を切るギンヤンマが、そうやすやすと人の手に捕まるはずもない。
ところがある日子どもとザリガニ捕りに行って、そのギンヤンマのヤゴを、偶然捕まえた。
若紫を見出した光源氏の気分であった。
・・・が、それからの毎日は、正直、本当に大変だった。
うちでは、それまでにカワトンボとヤブヤンマを羽化させたことがあったのだが
乾燥イトミミズを爪楊枝でゆらゆらさせてやると嬉しそうに食べてくれた彼らとは違って、
ギンヤンマのヤゴは、そんなちゃちな餌には見向きもしてくれない。
ふん、という感じで近寄ってさえこないのだ。
仕方がないので、生餌を与えた。
目にも留まらぬ速さでヒュッと下あごが伸びて、獲物を捕らえる様は
残酷なほど無駄がなく、うつくしかった。
毎日毎日、そうやって餌を捕り、時々脱皮して、ヤゴは立派に成長した。
そのうち、餌を食べなくなり、水面近くで目だけ出して水上の世界を覗いていたり
たまに登り木に足をかけて、半身ぐらい上がってみたりするようになった。
羽化が近づいている!
私は、一応の飼い主であった息子より落ち着かず、廊下にある水槽の横で寝ることにした。
羽化が始まったからといって特別な音がしたりするわけではないのだが
何らかの気配の感じられるところにいたかったのだ。
行動としては、大人げないこと甚だしい。
しかしそれだけ想い込んでいた甲斐あって、それから数日後の夜中、
普段は絶対途中で起きない私がふと目を覚ますと、ヤゴが登り木に上がってきている。
羽化の開始である。
ヤゴは、木を登りきってもまだ上がりたそうにしていたので、
木を壁に立て掛けるようにしてやったら、今度は壁を登り始めた。
どうも、何かが気に食わなくて、羽化に踏み切れないようであった。
そしてそれから何と約2時間!ヤゴは壁をうろうろと歩き回り続けたのである。
途中何度か転落して、その度に私をやきもきさせたが
それでも暫くするとまた、上へ上へと登っていくのだ。
その間にも、体内ではこれから生まれ出ようとする新しい体のエネルギーが
どんどん膨らんで、ヤゴの体を内側から押し破ろうとするらしく
ヤゴは時々苦しげに、ブンブンと体をよじった。
ヤゴ自身はまだ完全には満足していなかったようだが、ついに、内側からの力が勝り
少し中途半端に登り木につかまったまま、突然羽化が始まった。
私はここで息子を起こし、ここからは二人でギンヤンマの誕生を見守った。
この写真にある逆さ吊り状態がしばらく続いた後、
腹筋でもするように一瞬で体を起こして抜け殻にしがみつき、
最後に残ったおしりの先を抜く。
羽は意外なほど速くのびていき、白くてしわしわだったのが、
いつの間にか透き通ってすっきりしたトンボの羽になる。
目を皿のようにしてずっと見ていたにもかかわらず、どうにも仕掛けがわからない。
まるで魔法のようだった。
やがておしりから1滴、水のようなものが垂れ、
その途端、全体に何となくぼってりした感じだった胴体がしゅっと一瞬で引き締まって、
見慣れたトンボのシルエットが完成した。
それから間もなく初飛行。
さすがにまだ、ひらひらとおぼつかない羽さばき(?)である。
本気で飛び始める前に、捕虫網の縁にとまらせて屋外のノウゼンカズラに移してやった。
以前羽化させたヤブヤンマはそのまま朝までそこにとまって休憩していたのだが、
30分後、様子を見に行ってみたら、既にギンヤンマの姿は消えていた。
2時間にわたる彷徨のあと、羽化という大仕事を成し遂げ、
その疲れも知らぬげにさっさと大きな世界に飛び立ってしまったギンヤンマ・・・
やっぱりかっこいいよなぁ!とあらためて惚れ直したのであった。
・・・とまぁ、それから4年経った今なお、こんなに長々と語ってしまえるのも「憧れ」ゆえ。
ただし、新学期早々の慌ただしいときに主婦のすることではない。
冒頭で紹介した “あるべきところを離れる” というのは、なるほどそういうことであったかと
今になると妙に納得させられたりして。
by immigrant-photo
| 2008-09-03 00:10
| wanderings