2008年 08月 06日
待つ |
最近、ろくに新聞も読まない日が続いていたのだけれど
久しぶりに目を通した朝日新聞(8月4日付)に載っていた対談は興味深い内容だった。
対談しているのは鷲田清一さんという哲学・倫理学の学者と、
日本政治思想史が専門の苅部直さん。
と、肩書きを見てしまうといかにも私とは無縁の世界の方々なのだが
“「わかりやすく」の危うさは”
というテーマに惹かれた。
一般に、「わかりやすい」というのはいいこととされている。
にも拘らず、どうもなぁ・・・という気が、最近とみにしていたのだった。
その何とも嫌な感じの正体を、自分なりにさぐる手がかりがつかめた気がする対談だった。
鷲田さんによると「わかる」とか「わかりやすさ」には2種類あるという。
一つは、ふだん漠然と思っていることや、もやもやと考えていたことを、
他人が別の言葉でポンと言ってくれ、認めてくれるような感じがすること。
そしてもう一つは、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる。
一から組み替えないといけない、と突きつけられるようなこと。
そして、どちらの「わかる」にも、一抹の危うさが含まれているのだ、と。
前者では微妙なニュアンスや複雑さは敢えて切り落とされる。
強引な単純化によりインパクトは強まるが、
そういう言葉が受けるということに、鷲田さんは
「何か人々の深いいらだちや暴力性の澱」を感じるという。
ならば、後者の「わかる」ならよいかというと、これも幼稚さや性急さを感じさせ
一歩間違うとカルトにもつながる方向性を持っている、と。
今は、例えばエコの問題や禁煙運動などのように、
一旦言われてしまうと反対しにくい思想が並列でたくさん存在している。
理屈の上では、絶対に正論に軍配が上がるのだ。
だが、世の中はそんなに単純ではない。
人それぞれに価値観や損得勘定が異なるからだ。
その様々な人々が、それでも何とか共存していくための討論や調整には、
本来相当な時間がかかるはずなのだ。
安易な「わかりやすさ」に因ることは、その手間と時間とを省略し、
結論を急ぐあまり問題設定そのものや答えを歪ませる危険性をもっている。
いかに早く結果を出すか、に追われないようにしたい。
対談の最後の部分に特に感銘を受けたので、以下に引用させていただく。
鷲田 僕はよく「思考には溜めがいるんですよ」って言うんですが、ある人に
「じゃあ溜めをつくるにはどうしたらいいのか」と聞かれました(笑い)。
苅部 「実用」志向ですね。
鷲田 「溜めをつくろう」というのは、そういう問い方はやめましょうということなんです。
でも、わからないことに耐えられない。 すべてが説明できるとは限らない
という苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということも
あるんです。 わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。
僕らが生きている時代って「時を駆る」でしょ。 あらかじめやっておくとか、
先を読むとか。 先に先に、という思考法です。 でも、答えを急いで出さず、
問いを最後まで引き受ける。 じっくり考えたり、寝かせたり。 すぐにわかろうと
しないで、機が熟すのをじっと待つ。 それも大切じゃないでしょうか。
今度はぜひ、鷲田さんご自身の著書にも挑戦してみたいと思う。
ちゃんと「わかる」には、それこそ相当時間がかかるだろうけれど、この著者なら
それでも許してくださるだろう。
by immigrant-photo
| 2008-08-06 06:02
| thinking