2011年 03月 12日
東北地方太平洋沖地震 |
怖かったです、本当に。
子供たちはまだ、それぞれに学校にいる時間でした。
昼ごはんの後、ちょっと休憩してから
ぐずぐずとパソコンの中のデータ整理をしていたら、揺れ始めた。
割とゆっくりした揺れだったので、のんびり構えていたら
空間ごと掴まれて引き回されるような
大きなのが来ました。
これはただ事ではない、と
急いで勝手口を開け放ち、いつでも飛び出せる状態にして
戸口で揺れの収まるのを待ちました。
が、いつまでも止まない。
食器棚の中で食器の落ちる音がし、
冷蔵庫のドアが開いて、中から食品が雪崩をうって落ちる。
片手で勝手口の枠に掴まりながら、冷蔵庫のドアを押さえようとするのですが
何かがつっかえてしまって閉まらない。でもその何かを取り除いてドアを閉めるという
ただそれだけのことをする余裕もありませんでした。
第一波が過ぎたあと、停電で暗くなった冷蔵庫にとりあえず食品を押し戻してドアを閉め、
次にカバンに通帳等を放り込んで戸口に置き、
作業中だったパソコンの電源を切って
…とこのあたりでまた大きな揺れ。
勝手口から半分体を出したまま、様子を窺う。
でも、この時点ではまだこの地震がこんなに広範囲にわたって
激甚な被害をもたらす大災害だとは知らず(停電でテレビもつかなかったので)
この辺りだけの大地震だと思っていました。
なので、翌日に控えていたブライダルの仕事のことが気になった。
それで、次に揺れが収まったときには
仕事道具一式と黒スーツを車に移動、
さらに、半開きの食器棚の扉をとりあえずガムテープで貼り付けるところまでしました。
うちの猫たちの姿が見えないのが気になったけれど、
たぶん猫もおびえてどこかに隠れてしまったのでしょう・・・
その後も繰り返すかなり大きな余震の合い間をぬって
床に散乱したものをとりあえずひとまとめにして避難経路を確保。
夕方になって停電が復旧したので
まず市内に住む義母に電話を入れたら、元気そうだったのでホッとしました。
それから地震情報でも出ているかとテレビをつけると
そこには信じられないような光景が・・・
うちのあたりなんか、まだ全然マシだったんだ。。。
津波に襲われて水浸しの仙台、炎につつまれる市原のコンビナート、
茨城県内でも大洗の海は渦巻き、北浦にかかる橋が崩落して、
まさに地獄絵巻のような映像が次々と映し出されました。
仕事場である式場は水戸、会社は日立にあるので
うちよりもずっと震源地に近いのです。
日立は震度6強っ!?
会社の人たちは大丈夫だろうか?
式場は?
基本、ドタキャンはありえない仕事とはいえ、
そもそもこんな状態で挙式なんかできるのだろうか?
まだまだ大きな余震があるし、電車も高速道路も使えないのに?
結局、本日予定の挙式はとりあえず延期になり、スナップの仕事もなくなりましたが
今日式をあげられなかったお二人は、むしろ運がいいのだと思います。
挙式当日にあんな地震があったら、それこそ大惨事でしたから。
早く事態が落ち着いて、今度こそすてきな式を挙げられるようお祈りしたいと思います。
などと書くうちに、今もまた結構大きな余震が。
でも、今日はまだ家族が揃っているので少しは安心です。
昨日は、子ども達が無事帰ってくるまで、本当に不安でした。
息子の高校からのメルマガによると、電車通学の生徒の中には
結局、学校で一夜を明かした子ども達もいたようです。
義弟も東京の勤め先で待機するしかない状態で、
いまだにうちには戻れていないようです。
市内は昨夜8時半から今なお断水中ですし(うちは井戸なので大丈夫ですが)。
見た目的には殆ど被害のなかったうちの辺りでさえこんな状態なのですから
テレビに映されるような甚大な被害を被った地域の方々の喪失感と不安は
どれほどのものかと思うと胸がつぶれそうです。
まだまだ寒いでしょうしね。
何事もなかったかのようにうららかな今日の日射しに
自然の残酷さを感じつつ、自分にできることを考えています。
P.S. 因みに本日アップした写真は、揺れが一段落した直後の空。
急に、妙な具合に雲が出てにわか雨までポツポツと降り始めました。
天変地異といいますが、大地の異変に呼応するかのような
空の、実に気味の悪い変貌ぶりでした。
by immigrant-photo
| 2011-03-12 10:50
| wanderings